ウイルスの感染の広がりを防ぐことと、そこにおきてくる矛盾―コングリッジの矛盾

 ウイルスの感染が広まるのを防ぐ。新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染が広まっている日本の社会において、気をつけなければならないこととは何だろうか。

 ウイルスの感染の広がりに波がある中で、矛盾があることに気をつけるようにして行く。気をつけるべき矛盾では、コングリッジの矛盾があることが言われている。これはイギリスの学者のデヴィッド・コングリッジ氏によって言われたものだ。

 コングリッジ氏によると、科学技術において、それがもたらす負の効果にうまく手を打てるときには、手を打つことの必要性に思いいたりづらい。手を打つことの必要性に思いいたったときには、すでに手を打ちづらくなっている。気がついたときにはものごとをそうかんたんに動かしづらくなっているのだ。そうした矛盾があるとされる。

 ウイルスの感染が広がることでは、それがおきる前には、ワクチンの開発の必要性に思いいたりづらかった。それが日本の政治においておきていた。いざウイルスの感染が現実におきたときになってはじめて、ワクチンの開発の必要性に思いいたったのである。

 医療のゆとりがいるのかどうかでは、ゆとりがあるのは無駄だとされて削られていった。ゆとりがあることの必要性に思いいたれなかった。ゆとりの必要性に思いいたりづらいのがあった。ゆとりがあることはたんに無駄なだけだと見なされた。いざウイルスの感染が広がってはじめて、ゆとりがあることの必要性に思いいたったのだ。

 ゆとりがあるのは冗長性(redundancy)があることだ。いざとなったときにゆとりがものを言うことがある。冗長性があることによってそれがまちがいを防ぐはたらきをしたり負担を受けもったりするようにはたらく。ゆとりが欠けていてかつかつのあり方だと冗長性がないからいざとなったときに大きな打撃を受けることがある。

 なにが無駄なものでなにが無駄なものではないのかを分けることはむずかしい。無駄学においては、目的と期間と立ち場によって何が無駄で何が無駄ではないのかは変わってくるのだという。目的のちがいや期間の長短のちがいや置かれている立ち場のちがいがある。いちがいにこれは無駄だと頭ごなしに切り捨てることはできづらい。

 できるだけゆとりをもつことが大切だとはいっても、日本の国の財政はぼう大な借金をかかえていて首が回らなくなっているから、ゆうちょうにしてはいられない。さけがたく不利益分配の政治の闘争がおきてきてしまう。だれしもがのぞまないものである不利益をだれに押しつけるのかの闘争であり、だれを悪玉化(scapegoat)して排除するのかの闘争だ。だれをやり玉にあげてつるし上げるのかだ。せちがらい世の中だ。

 ウイルスの感染の広がりでは、感染の広がりがいったんおさまりを見せて、そのごにまた大きく広がり出す。そうした波動がある中で、いったんおさまりを見せているときには、気をゆるめてしまう。しっかりとウイルスの感染の広がりを防ぐことに力を入れづらい。備えをしておくことに力を入れづらい。備えることの必要性に思いいたりづらい。そのごにまた感染が大きく広がり出してはじめて、それ以前にあらかじめいろいろな備えをしっかりとしておくべきだったことに思いいたれる。

 東京都で五輪を開くことになる中で、ウイルスの感染が世界中で広がるようになることはくみ入れられていなかった。ウイルスの感染が世界中で広がることが現実におきてから、その中で東京都で五輪を開くことのやっかいさが明らかになった。五輪を開くことが負としてはたらくことがわかった。それがわかったときには、五輪を開かざるをえないことにすでに追いこまれてしまっている。なかなか五輪を中止することができづらい。すでにいろいろな資本が投下されてしまっている。費やした費用をできるだけとり返してやろうとする埋没費用(sunk cost)の錯覚がおきてくる。

 火でいうと、まだ小さい火のぼやのうちは何とかしやすい。消しやすい。ぼやのうちはあまりそれを何とかしようといったことでお尻に火がつきづらい。ぼやが大きくなって大きな火になると、それを何とかすることの必要性に気がつく。必要性に気がついたときには手を打ちづらくなっている。

 いろいろなことにおいて矛盾がはたらいてしまう。コングリッジの矛盾がおきてしまうのがあるので、そのことをできるだけくみ入れておくようにしたい。日本の政治では、矛盾が引きおこることになることがくみ入れられていないために、いざとなったら傷が深くなる。よけいに大きな傷を負う。あとでそうかんたんには修復することができないくらいにとり返しがつかないようなひどい傷を負ってしまう。あと戻りができない不回帰点(point of no return)を超えてしまう。一部にかたよって大きな傷を負う人が出てきてしまう。一部に大きなしわ寄せが行く。そういったことがおきることが危ぶまれる。ウイルスの感染の広がりとは話はちがうが、原子力発電の行政でもそれが言えるだろう。

 参照文献 『知のトップランナー 一四九人の美しいセオリー』ジョン・ブロックマン長谷川眞理子訳 『無駄学』西成活裕(にしなりかつひろ) 『哲学塾 〈畳長さ〉が大切です』山内志朗(やまうちしろう) 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一