化粧品の会社の会長による自然主義の誤びゅうと、日本の無責任の体制

 NHK はほとんどが在日の朝鮮の人たちで占められている。NHK は在日の人たちにのっとられている。NHK は日本の敵であり、不要なものだから、つぶすべきだ。テレビの広告では在日の人が多く起用されているのが目だつ。化粧品の会社の会長はそうしたことを言っていた。

 化粧品の会社の会長が言っていることにたいして、NHK は人権の侵害をうれえるような内容の番組を報じた。在日の人たちへの差別や憎悪表現(hate speech)が行なわれていることを番組のなかでとり上げて、それを人権の点から問題であるとしている。

 NHK は在日の人たちによって占められているとか、のっとられているとか、日本の敵に当たるものだといったようなことは当たっていることなのだろうか。

 化粧品の会社の会長は、在日の人たちが NHK をのっとっていて、在日の人たちはもはや日本の社会のなかの少数派ではなくて多数派だといったことを言っている。それがはたして事実だと言えるのかの点においては、信ぴょう性や信頼性がとぼしいものだと言わざるをえない。

 たしかに、NHK にはまずいところがいろいろにあり、いろいろに批判されるべきなのはあるが、それを在日の人たちのせいだとは言うことはできない。NHK にいろいろとまずいところがあるのは日本の社会のなかの多数派である日本人にそのもとがある。NHK は国家のイデオロギー装置の色合いが強く、自律性(autonomy)がない。それを在日の人たちのせいにするのは責任の転嫁にすぎないものだろう。日本の社会のなかにある無責任の体制の悪い性格があらわれ出ている。

 多数派が少数派を否定したこととしては、ナチス・ドイツユダヤ人をせん滅(genocide)していったことをあげられる。ナチス・ドイツは多数派を代表していて、少数派であるユダヤ人を悪玉化(scapegoat)したのである。それで少数派に排除の暴力をふるった。

 なぜナチス・ドイツユダヤ人を悪玉化したのだろうか。集団が危機にみまわれると、集団の中の少数派がやり玉にあげられやすい。少数派に排除の暴力がふるわれやすくなる。それが見られたのが、ナチス・ドイツユダヤ人をせん滅していったことだ。ユダヤ人が集団のなかで可傷性(vulnerability)をもっていたためである。

 ナチス・ドイツに見られたのは自然主義の誤びゅうだ。ユダヤ人であることの事実(is)から、何々であるべきの価値(ought)を導いたのである。それと同じように、在日であることの事実から、何々であるべきの価値を導くのは誤りであり、まちがいのもとである。日本人であることの事実から、日本人は優れているといった価値は導かれないのがあり、自民族中心主義(ethnocentrism)におちいらないように十分な注意をしたい。

 歴史の縦の軸を見てみれば、日本の社会のなかで多数派である日本人が優とされて、少数派である在日の人たちは劣とされてきた。そのあり方がとられつづけてきて、いまにまでいたっているのである。日本が帝国主義朝鮮半島を植民地支配していたときからそうしたあり方がとられてきた。

 縦の軸によって見てみれば、日本の社会のなかで多数派の専制がおきていて、少数派である在日の人たちに排除の暴力がふるわれることがあった。関東大震災がおきたあとに、在日の人たちが暴動を引きおこすといったデマが言われて、在日の人たちが殺されたのである。そこで殺された人の中には、誤って在日の人だと見なされた日本人を含む。

 縦の軸からすると、日本の社会のなかの多数派である日本人は、どちらかといえば被害者ではなくて加害者だ。多数派である日本人を加害者ではなくて被害者だとするのは、とらえちがいになる。多数派である日本人を被害者だとしてしまうと、化粧品の会社の会長のような見なし方になってしまい、他に責任を転嫁することになり、日本の社会のなかにある無責任の体制の悪い性格があらわになる。歴史修正主義におちいる。危機の管理ができず、危機から逃げつづけることにしかならない。日本の社会のなかにある負のところである呪われた部分から目をそむけつづけるようになる。

 NHK の番組のなかでとり上げられたように、差別や憎悪表現が日本の社会のなかで行なわれないようにして行きたい。NHK のなかでどのような人たちが組織の中核を占めているのかとは別に、日本の社会のなかで基本の人権(fundamental human rights)が守られるようにして行く。人権が侵害されないようにして行く。

 修辞学の議論の型(topica、topos)の比較からの議論によって、お互いの言っていることを比べて見てみられるとすれば、化粧品の会社の会長が言っていることは劣で、NHK の番組で言われていることのほうが相対的には優だ。化粧品の会社の会長は、自分の本音のようなものをぶちまけてしまっている。会長の信念は現実とずれているのがあるから、修正されることがいるものだろう。そうとうに認知がゆがんでいるおそれがある。

 国家の公によって個人の私が否定される。それによってとくに否定されることになるのが少数派であり、在日の人たちをはじめとした少数派の人権が侵害されないようにしたい。国家の公の道具や手段として個人の私があるのではないから、個人の私のそれぞれのちがいを認めるようにして、ちがいを否定するようなことがないようにしたい。ちがっていながらも同じであるといったようなあり方になるようにして、個人の私が尊重されるようにしたいものである。

 参照文献 『天才児のための論理思考入門』三浦俊彦NHK 問題』武田徹 『公私 一語の辞典』溝口雄三現代思想を読む事典』今村仁司編 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『差別と日本人』辛淑玉(しんすご) 野中広務(ひろむ)