こども庁をつくることと、大人の社会のまずさ

 子どもは国の宝だ。子どものためにこども庁をつくる。与党である自由民主党菅義偉首相による政権はそう言っている。菅首相の政権が言っているように、こども庁をつくることは必要なことであり、よいことなのだろうか。

 たしかに、子どもは国の宝と言えるのがあるから、子どもを大切にすることはいることだろう。子どものことを大切にしようとするのであれば、こども庁をつくるのは悪いとはいえないが、それよりも先におとな庁をつくることがいる。そう言えるのがあるかもしれない。

 悪い大人がいる。強壮になった子どもだ。子どものような大人だ。思想家のトマス・ホッブズ氏はそう言う。

 国会において少なくとも百十八回を超えるうそをついたことが明らかになっている与党の自民党で首相をつとめた政治家がいる。政治においては、自民党で首相をつとめた政治家をふくめて、悪い大人は多い。与党である自民党の中にそれが目だつ。政治家は表象(representation)であり、国民そのもの(presentation)ではないから、うそをつきやすくて、悪い大人になりがちだ。すべてのうそが悪いとは言えないにしてもである。

 大人による社会がちゃんとしていなくて、悪いところがいろいろにある。大人の社会が悪くなっていると、それが子どもの社会に反映されてしまう。大人の社会とこどもの社会とのあいだに相互作用がはたらく。そう見なしてみたい。

 相互作用がはたらくさいに、負の相互作用がおきてしまう。大人の社会が悪くなっていて駄目になっているのが、子どもの社会に反映されてしまう。大人の社会の悪さや駄目さを放ったらかしにしておいたままで、子どもの社会だけをよくすることはできづらい。なぜかといえば、子どもの社会をよくしようとするのであれば、それをよくしようとする大人の社会がまずよくなっていないとならないからである。大人の社会がよくなっていないで、悪さや駄目さを抱えたままだと、こどもの社会にたいして悪い指導のしかたになりかねない。

 じっさいに子どもの社会にたいして悪い指導のしかたを、大人の社会がしてしまっている。それは大人の社会が悪さや駄目さを抱えていて、それを放ったらかしにしているせいだろう。

 子どもにたいする学校の教育では、日本の国をよしとするような心脳の操作が行なわれている。日本の国がしでかした過去の負の歴史を隠ぺいすることが行なわれている。これは子どものためになる教育のあり方だとは言えそうにない。

 日本の国は国民の心の中に入りこもうとするところが強い。国民の心脳を操作しようとする。そのことに警戒するようにして警戒しすぎることはないだろう。悪い大人が子どもの心脳を操作しようとする思わくをもっていないとは言いがたい。日本の国の公のために個人の私を否定させるような、よこしまな思わくをもっていないとは言えそうにない。きびしく見ればそう見なすことがなりたつ。

 こども庁をつくるのは悪いとはいえないが、それよりも先におとな庁をつくるようにする。大人の社会を少しでも改善して行く。大人の社会のいちじるしい退廃(decadence)や腐敗から目をそむけないようにして行く。大人の社会が抱えている呪われた部分をとり上げて行く。

 男性と女性とのあいだの格差などの、階層(class)の問題がさまざまにあるから、それらを少しでも片づけるようにして行きたい。大人の社会が壊れてしまっているのがあるとすると、そこを何とかすることがあったらよい。それが壊れているおおもとには社会の中の階層の問題つまり不平等があるから、不平等がそのまま固定化されつづけるのではないようにしたい。平等さによる社会(social)をとり戻して行く(つくり上げて行く)ようにしたいものである。

 参照文献 『心理学って役に立つんですか?』伊藤進 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『社会 思考のフロンティア』市野川容孝(いちのかわやすたか) 『心脳コントロール社会』小森陽一 『日本が「神の国」だった時代 国民学校の教科書をよむ』入江曜子 『社会階層 豊かさの中の不平等』原純輔(じゅんすけ) 盛山(せいやま)和夫 『リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史』長尾龍一 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『公私 一語の辞典』溝口雄三