新型コロナウイルスは脳の中にしかないものなのか―たんなる観念による思いこみのものにすぎないのか

 新型コロナウイルスは脳の中にしかない。それを見た人がいないからだ。そのことをくみ入れれば、新型コロナウイルスは消える。存在するものは意識によってつくられるのが近代哲学の常識だ。ツイッターのツイートでそうしたことが言われていた。

 ツイートで言われているように、新型コロナウイルスは脳の中にしかないものなのだろうか。現実には新型コロナウイルスは無いものなのだろうか。

 たしかに、ツイートで言われているように、新型コロナウイルスを目で見ることはふつうはできないものだろう。ウイルスは肉眼では見ることができないほどに小さいものだとされる。新型コロナウイルスは目では見えないから可視ではないけど、可視ではないからといってそれが無いのだとは言い切れないのはあるかもしれない。

 たとえば、日本の国をじかに目で見た人がいるのかといえば、それは無いものだろう。これがまさに日本の国そのものだといったものはない。日本の国は想像の共同体であり共同幻想だ。観念によるものだ。日本の国の全体は非真実である。明治の時代より以前の前近代においては、自分が属している地方の地域の郷土がクニだった。そうかといって、いまいわれる日本の国が無いのだとしてしまうと、現実にそぐわないのがあり、あるものだと見なすことがなりたつ。

 目で見ることができないものとしては、ものごとの関係性があげられる。あるものとあるものとがあったとして、それらが関係し合っていることそのものは目では見ることができないものだから、客観にさし出すことはできづらいものだろう。関係そのものは可視のものとしてさし出すことはできづらいが、いろいろなところにいろいろな関係性があるのがあり、それがなりたつのがある。

 物質の実体としては無くて、観念のものではあるとしても、それがあるとかりに見なすことによってものごとがうまく説明づけられるようになるものがある。心理学でいわれる無意識は、じっさいには物質の実体としてはないものだけど、無意識があるのだとかりに見なすことによって、いろいろなものごとが説明づけやすくなるのがある。そのさいには無意識は構成概念としてはあるのだと言えるだろう。説明づけるために用いられるものが構成概念だとされる。

 新型コロナウイルスは具体のものだけど、それをやや一般化できるとすると、ウイルスはあるのだと言えそうだ。ウイルスがあるとするのは仮説としてはそれなりに有力なものだろうから、ウイルスの記号表現(signifiant)の記号内容(signifie)に当たる質と量(集合)があるのだとすることがなりたつ。新型コロナウイルスの記号表現にもまたその質と量があるのだとできるだろう。

 世界中にたったひとつだけ新型コロナウイルスがあるのであれば、その量はひとつしかない。そうではなくて、ウイルスは増えていって世界中に広まって行くのがあるから、ひとつの質をもった新型コロナウイルスはたくさんの量があって、世界中にちらばっている。質が固定化されていなくて、時間が経つことによってもとのウイルスが変異して行く。

 脳の中だけではなくて、現実に現象として新型コロナウイルスが広まっているのだとする仮説は、それなりに当てはまるのがある。ただたんに脳の中だけにあるのではなくて、ウイルスがあることを確かめる手だてが少しはある。ウイルスが体の中に入るといろいろな症状が出るし、人から人へと感染して行くのがある。検査をすることによって陽性か陰性かがあるていどの確率ではわかるのがある。

 そこに目に見える形で木があるとか石があるとかといったこととはちがうから、新型コロナウイルスがあるかどうかには、生の自然の環境であるよりも擬似環境によるところが小さくない。疑似環境であるところがあるから、不たしかさがある。

 疑似環境の中で情報によって伝えられているのが新型コロナウイルスだから、そこに不たしかさがつきまとう。その中でどのようにして新型コロナウイルスを少しでもわかることができるのかがある。少しでもより深くわかるようにして行くためには、たった一つだけの見なし方によるのではなくて、いろいろな見なし方をとって行く。なりたたせることができるいくつもの見なし方に触れるようにして、それらの説どうしを比較して分析して行く。

 一か〇かや白か黒かの二分法で完全に割り切ることはできづらいだろうから、それぞれの説は相対化されることになる。割り切れないところがある中で、科学のゆとりをもつようにしながら、少しずつじっくりとより深くわかるようになるように努めて行くのがよいかもしれない。そこはことわざで言われるいそがば回れ(The longest way round is the shortest way home.)といったところがあるかもしれない。

 参照文献 『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』西林克彦 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『「科学的思考」のレッスン 学校で教えてくれないサイエンス』戸田山和久 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ)