国の政治の選挙で不正があったのかどうかと、修辞学でいわれる先決問題要求の虚偽―政治の(元)権力者に求められる説明責任(accountability)

 ミャンマーでは民主主義によるデモがおきている。その中でデモの参加者に死者が出ているようである。デモの参加者に排除の暴力がふるわれた。

 力によって政治の権力をうばったミャンマーの軍事政権はあくまでも自分たちの権力の正当性を言いつづけている。

 もしもミャンマーで行なわれているデモのいきさつと、アメリカで行なわれた大統領選挙のいきさつとのあいだに共通点があるのだとすると、それはいったいどういうところにあるのだろうか。その共通点とは、修辞学でいわれる先決問題要求の虚偽だと見られる。

 修辞学でいわれる先決問題要求の虚偽がある。これは先決として解決されることが求められる問題だ。それが解決されないままになっていることで虚偽におちいる。

 たとえば、きみは罪をおかした、だから罪人だ、と言われるさいには、まず罪とは何かがある。ほんとうに罪をおかしたのかがあり、それが客観の証拠によって立証されなければならない。それらがあいまいになおざりにされたままになることが、先決問題要求の虚偽だ。

 自由民主主義(liberal democracy)においては政治の権力者が負う立証や挙証の責任がはたされなければならない。説明責任(accountability)だ。とにかくきみは悪人だから悪人だとか、とにかくあの国は悪い国だから悪い国なのだといったような、論点先取や循環論法もまたおなじ性格をもつ虚偽だ。

 ミャンマーで行なわれた民主主義の選挙で勝ったさいに、選挙の勝利者が不正を行なっていた。選挙の勝利者が法の決まりに反する罪をおかしていた。ミャンマーで政治の権力をうばった軍事政権はそう言う。

 選挙で不正があったから、選挙で勝ったことを認められない。ミャンマーの軍事政権はそう言っているが、これはアメリカでドナルド・トランプ前大統領が言っていることと共通点があるのではないだろうか。そこに見られるのは、先決となる問題が解決されていないことである。

 アメリカで行なわれた世論調査の中では、共和党の支持者の中に、ミャンマーの軍事政権が行なったことと同じようなことがアメリカで行なわれることがいるのだと答えた人がいるのだという。ミャンマーで軍事政権が政治の権力をうばったのと同じように、アメリカでもトランプ前大統領による共和党が力によって政治の権力をうばうことがいる。

 ミャンマーアメリカとで同じ構造が見られるのだとすると、先決となる問題が解決されなければならない。先決となる問題とは、選挙で不正があったのだと言っている、言い出しっぺである政治の(元)権力者のほうが、その客観の証拠をあげなければならないことである。客観の証拠がないのであれば、じっさいに選挙で不正があったのかどうかは不たしかだ。

 先決となる問題が解決されていないのが見られるのがミャンマーアメリカだろう。先決に解決されなければならない問題がそのままになっていて放ったらかしにされている。選挙で不正があったのだと言うのであれば、言い出しっぺの政治の(元)権力者のほうがその客観の証拠をあげないとならないから、立証の責任を負う。

 政治の権力をじっさいに握っている権力者が、自分たちのやっていることを正当化するために、虚偽であるカタリを言う。ミャンマーでは軍事政権がいまの時点で政治の権力をにぎっていて、自分たちを正当化する中で、先決問題要求の虚偽がおきているうたがいがある。

 アメリカではトランプ前大統領はいまは政治の権力の地位をしりぞいているが、トランプ前大統領が政治の権力をにぎっていたさいに、先決問題要求の虚偽におちいっていたうたがいがある。政治の権力をにぎっていた時点においてトランプ前大統領は大統領選挙で不正があったのだと言っていたから、言い出しっぺであるトランプ前大統領が立証の責任を負う。その立証の責任を果たさないで、客観の証拠をあげていないから、アメリカの大統領選挙でほんとうに不正があったのかどうかは確かではない。

 選挙で不正があったのかどうかは、ミャンマーにおいてもアメリカにおいても不たしかなことだろう。その中で気をつけなければならないのは、政治家によるカタリである。ミャンマーであれば軍事政権の権力者が言うカタリに気をつけたい。アメリカであればトランプ前大統領が言うカタリに気をつけたい。政治家が言うカタリの中にはそうとうなゆがみが含まれていることが少なくない。

 政治家が言うカタリの中にどのような政治性や作為性や意図が含まれているかを見るようにして行きたい。ミャンマーの軍事政権の権力者や、アメリカのトランプ前大統領が、いくら選挙で不正があったのだと言っているのだとしても、それはカタリにすぎないかもしれず、カタリの中にゆがみが多く含まれているおそれがある。そこに気をつけるようにしておきたい。

 参照文献 『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』香西秀信 『情報政治学講義』高瀬淳一 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『情報汚染の時代』高田明典(あきのり)