政治における悪いことと、悪の平凡さや凡庸さ

 大量の偽造した署名をつくるなどといった貧乏たらしいことはわれわれはしない。もしも悪いことをやるのであればもっと堂々と大がかりにやる。記者会見の中で、愛知県知事をやめさせる運動の責任者はそう言ったという。

 愛知県知事をやめさせる運動の責任者が記者会見において言ったことをどのように見なすことができるだろうか。人それぞれによっていろいろに見なせるのにちがいない。その中で、大量の偽造した署名がつくられたうたがいがあることについて、それがどういったことだったのかの事実をできるかぎり明らかにして行くことがいる。貧乏たらしいことなのかどうかより以前に、まずはおきたことである事実ができるかぎり明らかにされるようにして、もととなるいくつもの要因を体系として分析するべきだろう。

 責任者が言っていることについてを逆(対偶)から見てみられるとするとこういったことが言えそうだ。運動をになうわれわれが行なうことなのであればそれは貧乏たらしいことではない。堂々と大がかりなことをやらないのであれば、運動をになうわれわれは悪いことはしない。

 大量の偽造した署名が運動の中でつくられたことが、もしも貧乏たらしいことではなくて、堂々と大がかりなことをしたことに当たるのであればどうだろうか。もしもそうだとすると、愛知県知事をやめさせる運動の中で悪いことが行なわれた見こみは十分にあることになる。あらゆる悪いことを一切やらないとまでは言っていないからである。

 たとえ貧乏たらしくなくて、堂々と大がかりなことであったとしても、あくまでも悪いことはやらないのだとは言っていないから、悪いことをなすことは可能性としてはありえるだろう。偽造した署名をつくるさいには多くのアルバイトをつのって署名を書かせていたのだとされる。それなり以上の資金力がないとできないことだとされる。

 法の決まりを破るような不正が政治において行なわれたのであれば、それがたとえ小さいことであったとしても、また大きいことであったとしても、その大きさの大小のちがいはさしあたってはわきに置いておける。範ちゅう(集合)と価値を切り分けたうえで、範ちゅうについてを見てみればそう見なすことがなりたつ。

 政治において守らなければならない法で決められた具体の義務に違反したのであれば、そのことは違反をしたことの範ちゅうの中に属する。その範ちゅうの中にはいろいろなものがあるが、範ちゅうの中に属していることではすべてに共通点がある。

 運動の責任者が言っていることは、具体の義務に違反するものの範ちゅうの中に属するものどうしのあいだでの相違点を言っているものだろう。小さいことか大きいことかといったちがいだ。それもたしかにあるが、それとはちがって、範ちゅうの中とその外とのあいだに相違点があるから、それによるのだとすれば、範ちゅうの中にあるのならそのすべてに共通点がある。

 具体の義務に違反した範ちゅうの中ではすべてに類似性があることになるから、範ちゅうの中で大きいものが駄目なのと同じように、小さいものもまた駄目なのだと見なすことがなりたつ。

 政治においては小さい悪いことが大きな悪いことへとだんだんひどくなって行くことがありえるから、たとえ小さいことだからといって必ずしも正当化することはできないかもしれない。政治家が小さいうそを一つついたことから、それをごまかすためにどんどんうそをつきつづけて行く。それでついには巨大なうそのかたまりと化す。そうなったら倫理として正当化することはできない。国民に大きな損失や害がおきることになるから、そうなってしまってからでは手おくれになってしまう。

 つねに小さいことがやがて大きくなって行くとは限らないから、すべての小さいことについてを深刻にとらえなくてもよいかもしれない。すべてについてを深刻にとらえすぎなくてもよいのはあるが、かといって軽んじすぎると手に負えないくらいにひどくなりかねない。ことわざでは後悔先に立たずといわれる。手おくれにならないようにするためには、たとえ小さいようであったとしても、政治において政治家がうそをつくなどの悪いことについてをできるだけ見逃さないようにして、それをひとつの悪い兆候だと見なすことが役に立つ。

 参照文献 『悪の力』姜尚中(かんさんじゅん) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『リベラルアーツの学び 理系的思考のすすめ』芳沢(よしざわ)光雄