中国のウイグルのことに声をあげることと、いまとかつてのあいだにおける人権の侵害―交通におけるいまかつて間から見てみたい

 中国のウイグルの人たちにたいする人権の侵害にたいして声をあげる。それはとても大切なことだ。現在の時点の横軸で見てみると、日本の国内だけではなくて、国外でもさまざまな人権の侵害がおきているから、それらがとり上げられて、解決されたほうがよい。

 現在の時点の横軸だけではなくて、過去をふり返るようにして、縦軸で見てみたとするとどういったことが言えるだろうか。縦軸で見るさいには、交通でいうといまとかつての間のいまかつて間によることになる。

 かつてである過去をふり返って見てみられるとすると、日本の国では天皇制によって国民の命がひどく軽んじられた。天皇のためであれば国民の命は失われてもよいのだとされていたのである。

 日本の国の中ではいちばん上に天皇がいた。天皇との距離が近いものほど価値が高いとされていて、距離が遠くなるのにつれて価値が低いものだとされていた。たとえ人間であったとしても、天皇との距離が遠いのであれば、その命は軽いものだとされていたのである。たとえ物や動物であったとしても、天皇との距離が近ければそれは人間よりも高い価値をもつ。人間においてはすべての人間の命がみな等しく平等にあつかわれていたのではなくて、そこには不平等さがあったのである。

 天皇制においてなぜ国民の命が軽んじられることが行なわれたのだろうか。それは天皇が一番えらいものだとされていて、天皇が目的だとされていたからだろう。目的である天皇のためであれば、国民の命は失われてもかまわない。国民の命はたんなる手段や道具だととらえられていた。国民の命そのものがそれじたいにおいて目的だとされていたのではない。

 国民の命そのものをそれじたいとして目的だとするのは人格主義(personalism)だ。これは日本において戦争に負けてからとられるようになったあり方だが、徹底されているとは言いがたく、さまざまなところに穴が空いていてほころびがある。それはなぜかといえば、戦前や戦時中の天皇制のあり方がまだ払しょくされていないためだろう。かつての悪いあり方がまだ生き残りつづけているのである。そればかりかそれをふたたび復活させようとする反動の動きが目だつ。

 日本の国では国民の命を大切にして行こうといった人格主義が弱い。そこが弱いのがあり、それは天皇制から来ているのがある。人格主義によるよりも、日本の国のことをよしとするところが強くて、日本の国のためなのであれば国民の命は失われてもかまわないといったところがある。日本の国のことをよしとする同一性(identity)を強いるのがあり、その圧がはたらいている。

 日本の国のことをよしとする同一性が強すぎるのがあるから、それを弱めるようにして行く。かつての日本の国による大きな失敗がふたたびくり返されないようにして行く。いまの現在の時点ではなくて、かつてをふり返られるとするとそう言えるのがある。かつての負のところをくみ入れるようにして、いまにおける負のところを改めることに生かして行く。

 ことわざでは痛みなくして得るものなし(no pain no gain)と言われるのがある。この痛みとはかつての負のことがらをくみ入れることをあらわしているのがあるから、それをくみ入れるようにして行きたい。ただたんに得るものを得られるのではなくて、そこには痛みがもとになっている。痛みとはかつてにおいて人権がいちじるしく侵害されたことが当てはまる。

 さまざまな痛みがかつてにおいておきたことによって人権の思想が形づくられることになった。それにくわえてさまざまな痛みがかつてにおいておきたのがあり、人権が侵害されてきた。そこから、人権にはかつてをふり返ることをうながすところがあると言えるだろう。ただたんに人権が得られたのではなくて、そのよいものを得られることになったのは、さまざまな痛みがかつてにおいておきたことによっている。

 かつてをふり返る歴史性が人権の思想にはあると言えるから、たんにいまの現在の時点だけによっているのだとは言えそうにない。かつてをふり返るようにするのであれば、日本の国が天皇制によって大きな失敗をしたことを無視するわけには行かない。すでにすんでしまったことだといったことで片づけてしまうのは必ずしも正しいあり方ではないだろう。

 まがりなりにもいまの日本において人権があるていど守られて保障されているのがあるのだとすれば、それは当たり前に得られていることではなくて、かつての日本やその他のところでさまざまな痛みがおきて血が流されたことによっているものだろう。そのもとにあるのはおもに国民国家のおかすまちがいであり、日本でいえば天皇制がそれに当たる。国民国家は暴力を独占しているのがあるからつねに危なさがつきまとう。

 参照文献 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『十三歳からの教育勅語 国民に何をもたらしたのか』岩本努 漫画 たけしまさよ