だれもがそこに入ったり出たりを自由にすることができるようにはなっていない国の政治の議会のあり方―制約がある

 アメリカの新しい大統領としてジョー・バイデン大統領が地位につきはじめた。これまでの大統領の地位からしりぞいたのがドナルド・トランプ氏だ。

 トランプ氏は大統領の地位からしりぞくまぎわに自分の支持者の一部をたきつけた。それによって支持者の一部がアメリカの連邦議会の議事堂に入りこむ犯罪がおきた。この犯罪は法の決まりに反したものではあるが行動としては正しいものだったとする見かたがトランプ氏の支持者の一部ではとられている。

 トランプ氏の支持者の一部が引きおこした犯罪についてをどのように見なすことができるだろうか。人それぞれによっていろいろな見なし方ができるのにちがいない。その中で交通と社会的排除(social exclusion)の点から見てみたい。交通の点から見てみられるとすると、国の政治の議会はある人を受け入れるが別の人を排除する装置としてはたらいている。

 国の政治の議会にはもともとの性格として、ある人は受け入れるが別の人を排除するはたらきをもつ。かりに議会そのものはとても大切なものであるといえるとすると、議会がもつ性格はそれそのものが悪いものだとはいえそうにない。ある人は受け入れるが別の人を排除するのだとしても、それが議会のもつもともとの性格なのだからそれそのものが(絶対の善とはいえないにしても)絶対の悪とは言えないものだろう。

 お店の中には扉があって、その扉には関係者以外立入禁止と書かれていることがある。その扉の先には関係する人は入れるがそうではない人は入れない。それと同じように、国の政治の議会もまたよしとされる人はその中に入れるがそうではない人は中には入れない。これらはその空間が排除の性格をもっていることによる。すべての人が無条件にそこに入ったり出たりできるようにはなっていない。そこには制約があるために認められていない人が勝手に立ち入ってはならないようになっている。

 その中に入れる人もいれば入れない人もいるのが国の政治の議会だが、たとえ中に入れる人であったとしてもその人が完全に正しいとはいえないしその逆に完全にまちがっているともいえそうにない。議会の中に入れるからといって、その政治家が完全に正しいとはいえないしその逆に完全にまちがっているともいえない。選ばれた政治家であってもその政治家のことを完全な善や完全な悪といったようにしたて上げたり基礎づけたりはできないものである。

 完全によいとか完全に悪いとは言えないのがあるから、議会の中に入れる政治家であったとしても、その政治家のことを一面性によって見なすことはできづらい。できるだけ二面性によって見なすようにして、よいところもあれば悪いところもあるといったように見なすようにすれば少しはつり合いをとりやすい。人間はどこかがきわ立ってすぐれていればほかのどこかが劣っていたり欠けていたりすることが多い。政治では汚いことを避けることはできづらいからたいていの政治家は多かれ少なかれ(すこしくらいは)汚れているものだろう。

 排除の装置としてはたらいているところがあるのが国の政治の議会だが、それはもともと議会がもつ性格であることから、それをもってして悪いものだとはかならずしも言えないのがある。排除してしまっているものの中によいものがあることが少なくはないから、社会の中のさまざまなものがいろいろに議会の中に包摂されるようにして行く。たった一つの声だけが反映されるだけだと公共性はなりたちづらい。たった一つの声だけではなくてさまざまな複数の声によって公共性はなりたつ。

 まだるっこしくてものごとが速やかに進んで行かないもどかしさがしばしば国の政治の議会にはある。それがあるのはいなめないが、それだからといって全否定しないようにして、できるかぎり議会が持っているよさを生かすようにして行きたい。

 できるだけものごとを速く進めるようにすると効率はよくなるが適正さが欠けてくることになりかねない。効率がよくなったとしても適正さが欠けているとまちがった方向に向かってどんどんつっ走っていってしまう。それを防ぐようにして、いそいでものごとを進めていって効率を高めて行くことだけではなくて、できるだけとちゅうの過程の手つづきを重んじて行く。とちゅうの過程の手つづきのところに力を入れるようにして、ていねいにものごとを進めて行く。そのためには科学のゆとりがいる。

 社会の中にあるいろいろな声の中でとりわけ弱者や少数者の声ができるかぎりすくい上げられることがあればよい。多数者の声ばかりが反映されてすくい上げられてしまうと多数者の専制におちいる。そうならないようにして、議会の内や外にいる反対勢力(opposition)が排除されないようにして、反対勢力が包摂されることがのぞましい。反対勢力が排除されると社会の中になげきの重荷や緊張がたまって行く。

 社会の中で弱者や少数者が生きて行きづらいままになって放ったらかしにされないようにして、すこしでも生きて行きやすいようにして行きたい。多数者による標準の型だけが社会の中でよしとされるのだと息ぐるしくなるのがあるから、その息ぐるしさをすこしずつ改めるようにして、たとえ標準の型にはまらなくてそこからこぼれ落ちても受け皿がいろいろにあって生きて行きやすいようになればさまざまな生き方が許されるようになる。

 参照文献 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』岩田正美 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『民主制の欠点 仲良く論争しよう』内野正幸 『ポリティカル・サイエンス事始め』伊藤光利編 『公共性 思考のフロンティア』齋藤純一