アメリカの大統領としてだれが一番ふさわしいのかと、国の長としてだれを選べるかの選択肢の数の少なさと多さ

 アメリカの大統領には、ドナルド・トランプ大統領がふさわしいのかそれともジョー・バイデン氏がふさわしいのかどちらなのだろうか。そのさいに、国の長としてだれがよいのかを選ぶ選択肢の数が一か二か多かのちがいを見てみたい。

 アメリカの国をよくするにはトランプ大統領しかいないとするのだと選択肢の数が一つだけだとなる。一つだけしかよしとしないのは独裁主義にかぎりなく近い。独裁主義はもと(archy)が一つ(mono)のあり方だ。もととなるものがゼロなのは無政府状態(anarchy)だ。

 アメリカの政治は民主主義であるのとともに共和主義(res publicus、republicanism)によるとされているから、独裁主義のようなもとが一つしかないあり方はよしとされないものだろう。もとが一つしかないのではなくて二つより以上あることがのぞまれる。もとが一つしかないのをこばんで否定するあり方が共和主義のあり方だろう。

 選択肢がたった一つしかないのだと独裁主義になってしまうから、それを避けるようにして、選択肢が二つより以上あるようにする。選択肢が二つより以上あることが許容されるようにしたい。それが許容されるのは、その必要性があることによる。

 トランプ大統領だけがよいとしてしまうと、ジョー・バイデン氏は不要だとなってしまう。そうなると選択肢がたった一つしかないことになるので、まずいあり方になる。そのまずいあり方を避けるためには選択肢が二つより以上あることが必要であり、それが許容されることがいる。そこからトランプ大統領だけではなくてジョー・バイデン氏も許容されることがいる。

 できるだけいろいろな多数の選択肢があれば、多数(poly)のもと(archy)があることになる。多数のもとがあったほうが、全体がまちがった方向に向かってつっ走っていってしまうのを防ぎやすい。抑制と均衡(checks and balances)がはたらくことがのぞめる。自由民主主義(liberal democracy)のあり方だ。

 社会の中にはいろいろな見なし方の人がいるのだから、客観のたった一つだけの価値があるのだとは言いがたい。いろいろな価値があることになり、相対性や主観性をまぬがれづらい。それに応じるかたちで選択肢もたった一つだけではなくていろいろにあることがいる。

 現実には制約がついているから、その中から選べるいくつかの選択肢から選ぶ。その中からかりにトランプ大統領がよいのだとして選んだのだとしても、それをもってしてまちがいなくアメリカの国がよくなるのだとは言い切れないだろう。現実に制約がついている中の選択肢のうちの一つを選んだからといって、それをもってしてまちがいなく理想といえる大局の最適につながるとは言えず、局所の最適ができるかどうかにとどまる。

 理想論とはちがう現実論を見てみるようにしたい。現実に制約がかかっている選択肢のうちの一つを選んだからといって、そのことをもってしてまちがいなく大局の最適になるのだとは言えそうにない。選択肢のうちの一つであるトランプ大統領を選んだからといってそれによってたしかに大局の最適になるのだとは言えないのがある。あくまでも局所の最適になるかどうかがせいぜいだから、それ以上を強く言ってしまうと局所の最適化のわなにはまるおそれがおきてくる。

 もととなるものが一つしかないのは選択肢が一つしかないことであり、それだと局所の最適化のわなにはまってしまうおそれが小さくない。それを防ぐためにはもととなるものが色々にあるようにして、選択肢が二つより以上あることを許容して、多元主義(polyarchy、pluralism)によるようにしたい。対等な選択肢が二つより以上あることが許容されていれば、全体がまちがった方向に向かってつっ走っていってしまうおそれを少しは防ぎやすい。議会の内や外の反対勢力(opposition)を排除しないようにしたいものである。

 参照文献 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『一冊でわかる デモクラシー a very short introduction』バーナード・クリック 添谷育志(そえややすゆき)、金田(かなだ)耕一訳