アメリカのドナルド・トランプ大統領は、アメリカや日本の国のことを愛しているのだろうか―政治家の自己保存

 大統領選挙は盗まれた。選挙で不正があった。アメリカのドナルド・トランプ大統領はそう言っている。

 トランプ大統領アメリカの大統領選挙で不正があったとしていてそのことにいきどおりを隠そうとはしていない。それはトランプ大統領アメリカの国を愛していることから来ていることなのだろうか。トランプ大統領がいちばん重んじていることとして、アメリカの国を愛していることが第一のことだと見なしてもよいのだろうか。そのことをまったく疑いようのない自明なことだとしてもよいのだろうか。

 そもそもの話としては、国の政治家でその国のことを愛している人は基本としていない。極端に言ってしまえばそう言える。その国のことを愛するのは国の政治家にならなくてもできることだし、その国の政治家であることはその国を愛することとは必ずしも結びつかないものだろう。

 国の政治家が何よりも愛しているのは自分に票がどれくらい集まるのかだ。自分に票がどれくらいの数だけ集まるのかに最大の関心を注ぐ。そこから国の政治家は理性が道具化しやすい。理性が道具化することで理性が退廃する。大衆に迎合することがおきてくる。大衆迎合主義(populism)だ。

 日本の国の中ではトランプ大統領のことを強く支持している人がいる。それはそれぞれの人の自由にまかされていることだからそれぞれの人が自分で決定する権利があることがらだ。そのうえで言えることがあるとすると、トランプ大統領は日本の国のことを愛しているとは言えないところがある。日本の国のことを嫌っているおそれがある。おべっかで日本の国のことを愛しているかのようなことを言うことはあるだろうが、本心はそれとはちがうところにある。そのおそれがある。

 日本の国のことをトランプ大統領は愛してはいなくて嫌っているのだとすると、そのトランプ大統領を強く支持することはとくに日本の国のためにはならないのではないだろうか。すくなくとも、トランプ大統領のことを強く支持することが日本の国のためになるかどうかははなはだしく不確定だ。トランプ大統領のことを強く支持することがまちがいなく日本の国のためになるとできるほどのうたがいようのない自明性があるとは言えそうにない。

 いちじるしい理性の道具化によって、理性が退廃していることがトランプ大統領には少なからずうたがわれる。もともとトランプ大統領は商売人であり、商売人はお金がもうからないと話にならず、少しでもお金を多くもうけるためにはどこかでずるや手抜きや搾取をしないとならないことが多い。適正さよりも効率性がより重んじられる。そこから理性が道具化して理性が退廃しがちだ。

 トランプ大統領は日本の国のことをアメリカの手下やしもべだとしているおそれがある。アメリカと日本とをたがいに対等な国どうしだとはしていない。ほんらいは国どうしはたがいに対等でなければならない。理想論としてはそうだが現実論としてはアメリカが上であり日本は下であり、アメリカはすぐれているが日本は劣っているとされてしまう。アメリカが日本を支配するのが当然のことであり、アメリカにとっての道具や手段が日本の国に当たる。

 民主主義にとって選挙は大切なものなのはたしかだが、選挙の結果の勝ちや負けがすべてだとなってしまうといちじるしく理性が道具化して理性が退廃する。トランプ大統領はそうなってしまっているうたがいが小さくない。それはアメリカの国のことを愛することとはちがってしまっているありようだ。たとえ選挙で負けた結果が出たのだとしても、負けたことについてはきちんと認めて引き受けて行く。

 科学のゆとりをもつようにして、選挙で負けた結果が出たことについてはそれを頭から全否定しないで許容して行く。それができるのであればぎりぎりのところで理性は持ちこたえられていることになる。それができないようなのであれば、いちじるしく理性が道具化していて理性が退廃しているおそれがある。政治家である自分の自己保存にかまけていて、自己欺まんの自尊心(vain glory)がおきすぎているのは、国のことを愛しているのとはまたちがったことなのをあらわす。

 参照文献 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『法哲学入門』長尾龍一 『日本国民のための愛国の教科書』将基面貴巳(しょうぎめんたかし) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)