政治家が自分で生産する汚れやゆがみと、それの他へのなすりつけと悪玉化―汚染された情報の生産と蓄積

 大統領選挙は盗まれた。選挙で不正があった。アメリカのドナルド・トランプ大統領はそう言っている。

 トランプ大統領の言っていることをよしとする支持者の一部が、アメリカの連邦議会の議事堂に不正に入りこむ犯罪をおこした。それで死者が五名くらい出たという。

 支持者の一部がこれから先に暴力の犯罪をおこしかねないので、予防のような形でトランプ大統領のウェブ上のさまざまなサービスのアカウントが運営者の判断によって停止されている。トランプ大統領によるソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の投稿が、支持者の行動をたきつけて火に油を注ぎかねない。これ以上に火の手が大きくなるとそれを鎮火させるのにそうとうに手こずることになるおそれがある。

 表現や言論の自由からすると、トランプ大統領のウェブ上のさまざまなアカウントが停止されることは、自由をうばうことになるのだろうか。その点について、作家のスティーブン・キング氏は、満席の映画館の中で、(じっさいには火事ではないのにもかかわらず)火事だ、とうそを言う自由はない、とツイッターのツイートで言っていた。

 自由と汚れのかかわりを見てみられるとすると、自由があることによって汚れがばんばんまき散らされてしまう。自由があることによってどんどん汚れていってしまう。汚れがこれ以上ひどくならないようにするためには、自由を少し制限することはやむをえない。そうした見かたができるかもしれない。

 政治における汚れとは、情報政治における情報の作為性や意図性や政治性だ。社会の中に緊張やなげきの重荷がたまりつづけることである。汚れを少しでも少なくするために、汚れをつねに小出しに外に吐き出しつづけることが民主主義ではのぞまれる。反対勢力(opposition)を排除してしまわずに、なるべくさまざまなものをよしとするようにするような包摂性と競争性がいる。

 中心にいる者をそのまま中心化しつづけていると汚れがたまりつづけて行く。政権の交代が行なわれずに権力が長くなると腐敗がおきてくる。汚れを少しずつきれいにして行くためには中心にいる者を脱中心化して、辺境(marginal)にいる者をできるだけとり立てて行く。日ごろはわきに追いやられている辺境人(marginal man)はたまっている汚れをきれいにする役をになう。政治における辺境人は議会の内や外にいる反対勢力だ。

 自由の名のもとにおいて、汚れがとんでもなくひどくなってしまうと、その汚れのひどさによって社会がおかしくなる。あまりにも汚れがひどすぎることによって社会がおかしな方向に向かっていってしまう。そうなるとまずいから、汚れがひどくなりすぎているのを少しでも和らげるために、限定的に自由を制限することはまったく許されないほどにひどいことではないかもしれない。

 自分に自由があることで、自由に何かをなす。それで何かをなしたさいに他の人に悪い影響や害がおよぶことがある。そのことがあることをくみ入れられるとすると、自分に自由があるから好きにやってよいのだとは言えそうにない。自分に自由があることで何かをなすさいに他の人に不利益がおきることがあるから、ときには自分の自由が制限されることがいる。たとえ自分に自由があるからといって、政治家が自分勝手にあと先かまわずに汚れをばんばん外にまき散らしつづけてよいものではないだろう。自分に自由があるからといって政治家が自分のやりたいことをやりたいようにやりたいだけやってよいとは言えそうにない。

 汚れを他のものに押しつけて悪玉化する。それだと民主主義はなりたちづらいものだろう。トランプ大統領がやっていることは、汚れをぜんぶ他に押しつけることだから、民主主義にそぐうことをやっているとは言えそうにない。民主主義を壊してしまっているところが小さくない。

 他のものに汚れを一方的に押しつけるのではなくて、汚れを自分たちで引き受けるようにすることが民主主義ではいることだろう。トランプ大統領がやっていることは、アメリカが抱えているいろいろな汚れを他のものにぜんぶ押しつけて、それでアメリカをふたたび偉大にするだとか、アメリカは偉大だとかと言っているように映る。それはアメリカが自分たちで抱えているさまざまな汚れの隠ぺいだろう。

 中国や左派のことをとんでもなく汚れているものだとして悪玉化しているのがトランプ大統領の見なしかただ。これだと民主主義はできづらい。もっとアメリカが自分たちで自分たちの汚れを引き受けるようにして、自分たちの汚れを小出しに吐き出しつづけるようにしなければならない。そうしないと汚れがどんどん内にたまりつづけることになる。あるときにそれまでに大量にたまりつづけている汚れが一気に外にどばっと吐き出されるのだと、民主主義の失敗だ。

 他のものではなくて自分たちが汚れているのだとして、アメリカの国が抱えているさまざまな汚れを認めるようにして、それをつねに小出しに外に吐き出しつづけるようにして行く。他のものである中国や左派のことを悪玉化することにかまけるよりもそれがいることなのだと見なしたい。

 すでにアメリカの国は自分たちの中にさまざまな汚れを多くためこみつづけてしまっていて、それが一気にどばっと外に吐き出されてしまう危なさがおきている。それがあるのだとすると、そのことを何とかするためには、中国や左派などの他のものを悪玉化することで解決するのだとは言えそうにない。それは隠ぺいやごまかしになるのにすぎないものであり、虚偽意識によるものだろう。それよりもアメリカの国がきちんと民主主義を立て直すようにしたほうが効果がある。そのように見なしてみたい。

 民主主義を立て直して行くには、自分たちが抱えている汚れを他のものになすりつけないようにしたい。中国や左派にも汚れがいろいろにあることはたしかだ。それはそれとして(それについて批判をしてもよいのはあるが)、これまでにアメリカの国が自分たちで多くためてしまっている汚れを認めるようにして、それを少しでも外に小出しに吐き出すようにして行く。

 トランプ大統領が自分で多くの汚れやゆがみを生んでしまっていて、汚れやゆがみがたまることが加速化されている。そうとうな汚れやゆがみが生産されてしまっているのがあり、それが一気にどばっと外に吐き出されることになったのが、アメリカの連邦議会の議事堂に支持者の一部が不正に入りこんだできごとだ。このことのもとにあるのは、トランプ大統領がたくさんの汚れやゆがみを自分で生産してきていることにあるだろう。そこには健全な社会関係(public relations)や説明責任(accountability)がいちじるしく欠如しているのだと言わざるをえない。

 参照文献 『情報汚染の時代』高田明典(あきのり) 『情報政治学講義』高瀬淳一 『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!』細野真宏 『民主主義の本質と価値 他一篇』ハンス・ケルゼン 長尾龍一、植田俊太郎訳 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『入門 パブリック・リレーションズ』井之上喬(たかし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『その先の正義論 宇佐美教授の白熱教室』宇佐美誠 『寺山修司の世界』風馬の会編