報道機関は新型コロナウイルスについてをどのように伝えるべきなのか―負の面をあおりすぎているのだろうか

 報道機関がウイルスへの不安や恐怖をあおっている。新型コロナウイルス(COVID-19)に負のらく印(stigma)が押されている。それがいけないことなのだとテレビ番組で出演者は言っていた。

 病気のがんと比べてみると、報道でがんのことはあおられないが新型コロナウイルスはいまさかんにあおられているのはおかしい。がんの致死率のほうが新型コロナウイルスの致死率よりも高いが、それにもかかわらずがんのことはあおられないのに新型コロナウイルスはあおられている。

 テレビの出演者が言うように、新型コロナウイルスのことについて報道機関はあおりすぎているのだろうか。そこに負のらく印が押されているのだろうか。それについてはむしろ逆であり、あおらなすぎているのが悪いとも言えるところが見かたによってはある。

 テレビには保守性があるから、一時の緊張が長つづきせずに、何ごともない日常がつつがなく送れていることに重きが置かれる。そのことによって日常がこれからもずっとつづいて行くといった正常性の認知のゆがみがはたらく。これから先もこれまでの日常が守られつづけることが確かだとされる保守性の物語がとられることで、危機意識を持ちづらい。危機意識をしっかりと持つべきときにそれを持てないとまずいことがある。

 テレビなどの報道機関が伝える情報は大きく分けて娯楽の情報と問題解決の情報がある。そのうちで娯楽の情報が好まれがちなのがあり、問題解決の情報は好まれづらい。娯楽の情報には楽しさがあるのがよい点だが、そのいっぽうで大切なことや知るべきことがおろそかになりやすい欠点がある。報道機関は十分に問題解決の情報を伝えているとは言えそうにない。視聴率をできるだけ高くするために娯楽の情報によりがちだ。情報を娯楽化やネタ化していることが多い。

 負のらく印が新型コロナウイルスに押されてしまっていて、ほんとうはそれが押されるべきではない。テレビ番組の出演者はそう言っていたが、それについては、負のらく印が押されていることはあくまでも表面の現象にすぎず、その現象の奥の原因を探って行くことがいるのではないだろうか。

 負の含意が新型コロナウイルスには与えられているが、それはまったくいわれがないことではない。日本の国の中だけではなくて世界の国々の状況をくみ入れたとすればあるていど以上のいわれがあることだから、負の含意をもたせることはまったく非合理なことだとは言えないものだろう。

 表面の現象の奥にある原因を探って行けるとすると、政治において政権がやっていることのまずさが見うけられる。そこに悪さのもとがある。政権がやっていることにまずさがあることから、ウイルスに感染した人やそのおそれがある人にたいして差別がおきることになっている。政権が差別がおきることを防ぐことを怠っている。差別がおきることを防ぐことはできることである(政治的に可能である)のにもかかわらず政権のやっていることに抜かりがあるために差別がおきている。そう見られるのがある。

 政権のやっていることのまずさとは、不利益分配のまずさだろう。政権にしっかりとした説明の能力がなくそれが欠けているために、ふさわしい不利益分配に失敗している。国民に平等に不利益が分配されるようにして行くためには、政権にかなり高度な説明の能力が求められるが、政権はそれをいちじるしく欠く。だから国民への不利益の分配がめちゃめちゃになってしまっている。

 国民への不利益の分配にかなりの不平等さがあり、医療の関係者などにかなりの大きな負担が行ってしまっている。かたよって不利益のしわ寄せがかかっている。それにくわえて国民の全体にとつぜんにいっきにどばっと大きな不利益が分配されることになるおそれがある。ふいにいっぺんに大きな不利益が国民に分配されることになるのは、ウイルスの感染への対応を含めて政治において政権がなすべき行動や説明ができていないことによる。

 まちがいなくこれから先のある時点で国民の全員に大きな不利益が分配されることになると言い切ってしまったらまちがいになる。そこには不たしかさがあるから、これから先にどうなるのかはわからないが、政権が国民にうまく平等に不利益を分配することには失敗しているのがあり、不利益の分配に不平等がおきている。そのもとにあるのは政権の説明の能力の欠如だ。かなり高度な説明の能力を政権は持っていることが求められるが、いまの政権やいまの与党である自由民主党にはそれをのぞみづらい。

 新型コロナウイルスをすごくやっかいで悪いものだと見なすか、それともそれほどでもないものだと見なすのかとは別に、テレビは保守性の物語によりやすいから、そこに気をつけたい。保守性の物語によって正常性の認知のゆがみがはたらくことがおきすぎないようにしたい。

 娯楽の情報にかたよりがちなのがテレビにはあり、それがあることによって何となく大丈夫なのだろうといった安心感を与えてしまうところがある。それが悪くはたらくことがあるから、視聴率をかせぐために娯楽の情報によりすぎていて娯楽化やネタ化しすぎるのを改めて、たとえ視聴率につながらないのだとしてもおろそかにされがちな問題解決の情報が十分にとり上げられればよい。

 参照文献 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『自分でできる情報探索』藤田節子 『考える技術』大前研一 『ニッポン・サバイバル 不確かな時代を生き抜く一〇のヒント』姜尚中(かんさんじゅん) 『「電車男」は誰なのか “ネタ化”するコミュニケーション』鈴木淳史(あつふみ)