アメリカの大統領選挙で不正があったのかどうかを現象と本質の対によって見てみたい―間接の現象と直接の生の本質

 アメリカの大統領選挙で不正はあったのだろうか。アメリカのドナルド・トランプ大統領は不正はあったのだとしている。そのことについてを現象と本質の対によって見てみたい。

 現象の奥にあるものが本質だとされていて、本質は英語では being や existence や essence や nature や character の語に当たるとされる。現象は間接のものであり、本質は直接の生のものだとしてみたい。そのさいに現象は表象(representation)にあたり、本質は直接の現前(presentation)にあたる。

 アメリカの大統領選挙では、選挙で不正はとくになかったとされるのが現象で、不正はあったとするのが本質に当てはめられる。表面の現象では不正はとくにないとされているが、その奥の本質においては不正はあった。トランプ大統領はそうしたかまえをとっている。

 現象で言われていることは大手の報道機関が伝えていることだ。報道機関は媒介であり、国家のイデオロギー装置の一つだ。媒介であることから情報が編集されて加工されていて取捨選択されている。頭からうのみにすることはできない。そのいっぽうで報道機関は公式のものであれば社会性や公共性(public)をもつ。

 現象として報道機関が伝えていることは当てにはならないから、その奥にある本質を探って行く。そのさいに現象である報道機関がもつ社会性や公共性によらないような非公共性のものをよしとしてしまう。

 公共性によるものであれば、多くの人に関わり(common)、公のものであり(official)、開かれている(open)。報道や表現の自由があるていどあるのであれば、報道機関が伝えることにはこれらのことがそれなりにはのぞめるので、あるていど判断のさいの材料になる。報道機関が媒介であることからくる限界があるとはいえ、まったく当てにならず、何の材料にもならないとは言えそうにない。それぞれの報道機関によって偏向があるのにしても、受けとるほうが判断をするさいの材料にはなる。

 物語には通用性と安定性のあいだの矛盾があるとされていて、現象である大手の報道機関の伝えることには広く通用性はあるが安定性に難がある。それとともに左派や右派の立ち場のかたよりがあることから安定性はあるが通用性に難があるのもある。報道機関はそれぞれが固有の枠組み(framework)をもっているから、その枠組みを受けとるほうが信用できたりできなかったり(不信感をもったり)する。

 間接の現象ではなくて生の本質はどうかといえば、そこには物語の安定性はあるが通用性に難がある。広く通用するものだとは言いがたい。生の本質によるものは物語の安定性はあるにしても必ずしもほんとうのことだとはかぎらず嘘によることがある。間接の現象ではなくて生の本質によるからといってほんとうのことだとは限らない。

 なにが本当のことなのかについては、物語の安定性だけではなくて通用性は欠かせない。社会の中にはいろいろな人がいるが、多くの人によってこれはいちおうほんとうのことだろうと見なされるものには通用性があり、それがほんとうのことだととりあえずは見なされる。実用主義(pragmatism)で見てみればそうしたことが言える。

 大手の報道機関が伝えることにはあんがいまちがっていることが少なくないのがあり、組織として認知のゆがみをもっていることがあるから、かならずしもうのみにすることはできづらい。その欠点はあるものの、社会の中に報道や表現の自由があるていどあるのであれば、現象である報道機関が伝えることはそれなりの公共性をもつ。物語の通用性がそれなりにはある。

 社会の多くの人がこれはいちおうほんとうのことだろうととりあえずは見なすことがその時点でのほんとうのことになることからすると、物語の通用性が欠けていて安定性だけによっている生の本質はそれがまちがいなくほんとうのことであるかどうかは不たしかだ。絶対の真実かどうかには疑問符がつく。実用主義の点からするとそこに気をつけておくことがいるだろう。

 参照文献 『なぜ「話」は通じないのか コミュニケーションの不自由論』仲正昌樹(なかまさまさき) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『公共性 思考のフロンティア』齋藤純一 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学松永和紀(わき)