社会の中のウイルスの感染の広がりと、日本の政治の政策の和や気によるあり方―理の欠如

 ガースーです。与党である自由民主党菅義偉首相はテレビ番組の中でそのように自分を紹介していた。

 東京都の小池百合子都知事は、コロナウイルスの対策をあらわしたかるたであるウィズコロナ東京かるたなるものをつくったことからそれを紹介していた。かるたをつくることを仕事にしているかるたの職人であるのならともかくとして、政治家や役人が政治の目的をなすための手段としてわざわざ税金をかけてかるたをつくることを行なうのはふさわしいことなのだろうか。そこがやや引っかかる。

 日本の政治の政策のあり方として、理ではなくて和を重んじることが見うけられる。理ではなくて気を重んじる。理がいるところであったとしても和や気によって政治の政策をやって行く。

 西洋の弁証法の正と反と合がある中で、和によるのだと正つまり合となりやすい。反が欠けてしまう。反が欠けることによって科学のゆとりをもつことができづらい。科学のゆとりが欠けている中で、反がくみ入れられず、反とのあいだの健全な対立を欠く。正つまり合だからそれでよいのだとなりがちだ。効率はよいとしても適正さが損なわれることになる。

 菅首相がテレビ番組において自分のことをガースーですと言ったのは、理ではなくて和や気によるものだろう。食べもので若い女性などに人気があるパンケーキが菅首相の好物だとしていることと同じようなものだろう。いまは新型コロナウイルス(COVID-19)の感染が広がっているのがあるので、ふだんより以上に理によることがいるが、それができていない。理によるべきところでそれによることができない。

 ほかの国の政治に比べて日本の国の政治は理のところが弱い。和や気によってしまっている。これは戦前や戦時中の日本の国において見られたことだが、それがいまにも引きつづいている。

 戦前や戦時中の日本は国の全体がまちがった和や気によっていて、理は国の全体から排除された。それで国の全体がまちがった方向に向かってつっ走っていった。まちがいなく神風が吹くとする神話(mythos)による根拠が不たしかな和や気はあっても科学のゆとりによる理はなかったのである。そのもとにあったのが天皇を神とあがめた天皇制だ。

 理はあまり好まれず、和や気が好まれる。日本の社会の中ではそれがあるために、理によることはうとんじられて、和や気によることがよしとされる。理によることへの誘因(incentive)がはたらきづらい。そこから理が排除されて行く。和や気への誘因がうながされて行く。

 理によって政治の政策をなして行くのであれば、きちんと公文書などによってあとに確かめられるように記録を残して行く。あとで確かめられるように形として残して行く。客観のこん跡を残す有形なあり方だ。あとで確かめられてはまずいために、客観のこん跡を残さない無形のあり方なのが和や気によるものだ。日本の政治は無形によっている。

 政治の時の政権の顔色をうかがいそんたくする。政治の時の権力からの呼びかけにすなおに応じる自発の服従の主体がいて、その権力の奴隷やたいこ持ちが中心化される。権力にとって都合がよいからだ。政治の時の権力のことを批判すると辺境に追いやられることになる。理ではなくて和や気によればよるほど権力にとって都合のよい自発の服従の主体となり、権力の奴隷やたいこ持ちとなるために、中心化されて行く。

 全体が和や気によるようになり、集団主義になる。同調や服従が強いられる。そこで欠けてしまっているのが理である。日本の社会の中では和や気が好まれるのがあり、理はうとんじられやすいのがあるから、理への誘因ははたらきづらいが、少しでも理によるようにして行くことが政治をよくすることにつながって行く。ほかの国の政治に比べて日本の国の政治ではとりわけ理がいちじるしく弱いのがあり和や気によりがちなのがあるとすると、そこが欠点に当たるからそこを改めることがあったらよい。

 参照文献 『朝鮮語のすすめ 日本語からの視点』渡辺吉金容(きるよん) 鈴木孝夫 『韓国は一個の哲学である 〈理〉と〈気〉の社会システム』小倉紀蔵(きぞう) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『国家と秘密 隠される公文書』久保亨(とおる) 瀬畑源(せばたはじめ) 『公文書問題 日本の「闇」の核心』瀬畑源 『古典の扉 第二集』杉本秀太郎(すぎもとひでたろう)他 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)