アメリカの大統領選挙で不正があったのかどうかと、政治の権力者の神話化と神話作用―あらわすこと(aletheia)と隠すこと(letheia)

 アメリカの大統領選挙で不正があった。アメリカのドナルド・トランプ大統領はそう言っている。このことについてをどのように受けとめることができるだろうか。人それぞれによってさまざまに受けとめられることはたしかだ。

 ゲシュタルト心理学では図がらと地づらを反転させられると言われている。この図がらと地づらをあらわされたことと隠されたこととに当てはめてみたい。

 トランプ大統領アメリカの大統領選挙で不正があったのだとするのはトランプ大統領がそのように発言することだ。トランプ大統領が発言するのは外にあらわすことであり図がらに当たる。図がらは目だちやすいがそのいっぽうで目だちづらいのが地づらだ。その目だちづらい地づらのところに焦点を当てられる。

 目だちづらい地づらのところに焦点を当てられるとすると、トランプ大統領が発言をすることによってトランプ大統領が何かを隠そうとしていることがある。発言をして外に何かをあらわすことによって、何かを隠そうとする。

 図がらと地づらを反転させて見られるとすると、たんに発言をすることによって外に何かをあらわそうとするのとは別に、何かを隠そうとするために発言をすることがある。何かを隠すねらいや目的のために発言を行なう。

 神話(mythos)においては何かが外にあらわされるいっぽうで何かが隠される。神話の物語においてはものごとが編集されて取捨選択される。何かは物語の中にとり入れられるがほかの何かは切り捨てられて捨象される。何かが切り捨てられて捨象されることによって象徴化されることになる。

 まったくかたよりがないのではなくて、神話化された物語においてはものごとが編集されて取捨選択されているのでかたよりを含みもつ。かたよりがあることをまぬがれない。何かが外にあらわされているいっぽうで何かが隠されている。何かを隠すために何かを外にあらわす。そうしたことがある。

 政治家は国民の表象(representation)なので国民を置き換えたものだ。そこから表象であるのにすぎない政治家は国民にうそをつくことがある。つねに政治家が国民にたいして嘘をつきつづけるのだとは言えないが、少なくともその可能性がある。国民にごまかしになることを言ったり、隠し立てを行なったりする。すべてをつまびらかにするのではない。

 トランプ大統領アメリカの国にとって善そのものだとか正義そのものだとしてしまうと、そのようにしたて上げたり基礎づけたりすることになってしまう。そこには少なからぬ疑問符がつく。善そのものや正義そのものとしてしまうと一面性によることになるが、政治家は少なくとも二面性をもっているのがあり、純粋に善そのものや正義そのものとは言えないだろう。

 トランプ大統領アメリカの味方であり、それと対立する敵がいるといった図式によるのだと、トランプ大統領アメリカにとって当然とされて自然さによることになる。トランプ大統領が正しいのは自明なことだとされる。その自明性を改めて見直すようにして、政治の時の権力者を自然さによって見なすものである神話作用がはたらかないようにして行く。

 政治の時の権力者についてを自然なものとして自明性によって見なさないようにしたほうがやや安全だろう。神話作用がはたらくと政治の時の権力者と距離がとれずにまひさせられてしまうことがおきることがある。

 参照文献 『知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ』苅谷剛彦(かりやたけひこ) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『知の編集術』松岡正剛(せいごう) 『楽々政治学のススメ 小難しいばかりが政治学じゃない!』西川伸一 『老荘思想の心理学』叢小榕(そうしょうよう)編著 『ポリティカル・サイエンス事始め』伊藤光利