政権の言うことややることと、問題の内因性の有り無し―政権の意見とそれにたいする異見(反対説)

 政治の時の権力がなすことには誤りはない。そう見なすことはふさわしいことなのだろうか。そのことについてを色による白と黒によって見てみたい。

 政権が白と言っていても、ほんとうは黒のことがある。政権が黒と言っていても、ほんとうは白のことがある。色の白と黒で言えるとするとつねにその二つの可能性がある。

 関係主義で見てみられるとすると、たとえ政権が言っていることであったとしても、あらゆる意見はすべてみな異見だ。異見とは、何かにたいする反対の意見であることをあらわす。白であれば黒があり、黒であれば白がある。関係の第一次性による。何かが単独として独立してあるよりは、複数のもののあいだの関係によってなりたつ。

 色の白と黒は、それぞれが白い仮説と黒い仮説である。その中間に灰色があるが、それはさしあたって置いておけるとして、わかりやすくするために二つの点から見てみたい。

 色が白いのは問題の内因性がない。色が黒いのは問題の内因性がある。内因性の有り無しは討論で言われるものであり、ただたんに問題が有るか無いかと意味は等しい。

 政権が白いと言っているさいに、ほんとうはそれが黒いことがある。そのさいに政権が言っていることをそのままうのみにして白いものだとしてしまうと効率はよいが適正さが欠ける。白いのではなく黒いのではないかとしたほうが効率は悪くなるが適正さが持てる。

 日本学術会議のことでは、政権は会のことを黒いと言っているが、ほんとうはそれが白いことがあり、政権の言っていることをそのままうのみにはしづらい。逆のほうがほんとうのことがある。

 政権は日本学術会議をなくそうとしている(民営化しようとしている)が、その政権のなそうとしていることが白いのではなくて黒いのだとすると、政権はまちがったことをしようとしていることになる。政権がなそうとしていることが白いのではなくて黒いのだとすると、政権がなそうとしていることに問題の内因性があることをあらわす。政権のなそうとしていることに問題があることをあらわす。

 たとえ政権がこれは黒いものだと言っていることであったとしてもほんとうはそれが白いことがある。政権は日本学術会議は悪いものだとしていて、それは色でいうと黒いものだとしているが、ほんとうは白いのだとすると政権の言っていることは誤りだ。黒いのではなくてほんとうは白いのであれば日本学術会議には問題の内因性がないことをあらわす。とくに目だった問題がない。

 白いか黒いかでは、政権が白いと言っているものをそのままうのみにして白いとして、黒いと言っているものをそのままうのみにして黒いとするのは、いさぎよすぎる。そこをねばるようにして、その逆や反対に当たるものを見て行く。そうすることによって効率は悪くなるが適正さを持てるようになることが見こめる。

 効率を重んじてしまうと政権の言っていることをそのままうのみにしてしまう。それによって適正さを欠く。科学のゆとりを持てなくなる。政権の言っていることと逆や反対に当たることを見るようにすれば、そちらのほうが正しいことは少なくないから、効率は悪くなるものの適正さを持てて、科学のゆとりを持てる。

 いついかなるさいにも政権が言っていることがまちがっていて、政権の言っていることの逆や反対に当たることがつねに正しいのだとは断言できそうにはない。それを断言できないのはあるが、政権の言っていることの逆や反対が正しいことは少なくはない。政権が白と言っているのなら黒を見るようにして、黒と言っているのなら白を見て行く。そのようにして逆や反対を見るようにしたほうが、その逆や反対のほうが正しいことがあることをとり落としづらい。

 与党である自由民主党菅義偉首相は、菅首相がいぜんに官房長官だったさいに記者からの質問に答えるときに、その指摘は当たらないとか、まったく問題はないとしばしば言っていた。この言い方についてを学者の西成活裕(にしなりかつひろ)氏による IMV 分析によって見てみられるとすると、指摘は当たらないとか問題はないつまり白いのだと言っていることになる。それは白いのだといった発言(message)を発していたのをしめす。

 菅首相官房長官だったさいに、それは白いのだと言っていた発言は、心の内にある意図(intention)をそのまま外にあらわしたものだとはかぎらない。ほんとうは心の内では黒だとしていて、それをごまかす意図を持つ。その意図があることによって、心の内では黒いものだとしているものを白いものだと言う。意図と発言とがずれている。そのずれをくみ入れるのだとすれば、受けとる方がどういう見解(view)を持つべきなのかといえば、意図を見通すことだろう。白いと言っているがじっさいには黒だと見なす。

 政治家は国民の表象(representation)であり、置き換えられたものだから、政治家が抱いている意図をそのまま発言として言うとはかぎらない。しばしばカタリやうそを言う。ほんとうは心の内で黒いとしていても、それをごまかす意図をもっていて、白いと言う。白いものであるのにも関わらずまちがった見かたをしているために黒いと言う。政権にとってただたんに都合が悪くてじゃまなことから、それを排除する意図をもつ。ほんとうは白いものであるのにも関わらず政権にとってじゃまなものを排除するために黒いのだと言う。

 政治家は表象にすぎないものだから、カタリやうそをしばしば言うのがあり、言っていることをそのままうのみにはできづらい。言っていることをそのままうのみにしてしまうと効率はよいが適正さを欠く。政治家が表象にすぎないものであることをくみ入れるようにして、カタリやうそを言っていることをくみ入れておく。白と言っているのなら黒かもしれず、黒と言っているのなら白かもしれないので、逆や反対を見ておく。そうしておいたほうが安全性はほんの少しくらいは高まるだろう。

 参照文献 『武器としての決断思考』瀧本哲史(たきもとてつふみ) 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『逆説の法則』西成活裕 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕 『うたがいの神様』千原ジュニア 『政治家を疑え』高瀬淳一 『対の思想』駒田信二(しんじ) 『考える技術』大前研一現代思想を読む事典』今村仁司編 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『反論の技術 その意義と訓練方法』香西秀信