他民族の学校に無料でピザをおくり届けることと、倫理(ethical)としてのよい行ない

 日本にある朝鮮学校にピザをおくりとどける。学生に無料でピザを食べさせる。ピザの宅配の会社であるドミノ・ピザはそうしたことをしているのをツイッターのツイートで見かけた。これは倫理(ethical)としてよい行ないだと言えるものだろう。

 いつもできることだとはかぎらずなかなか難しいこともあるが、他者にたいしては愛と尊敬をもつ。そうすることが倫理によるあり方だ。愛は人どうしを近づけて、それとはちがい尊敬は一定の距離をもたせる。とりわけちがいを持った他者である他民族の人たちにたいしてそうできるとよい。

 ドミノ・ピザがやっていることは倫理としてとてもよいことだから、日本のほかの会社も朝鮮学校に手をさし伸べることをやったらどうだろうか。そうしたことをしてツイッターのツイートで報告したとすると、日本の社会の中では叩かれてしまうかもしれない。朝鮮学校を手助けするのだったらもうそこの会社の商品は買わないといったような不買運動がおきてしまいかねない。

 日本の社会の中では他民族である朝鮮の人たちへの差別が強くおきている。自民族中心主義(ethnocentrism)におちいっている。排外主義である。日本にかぎらずどこの国でもそうした動きが見られるのはあるが、日本の社会ではそれが目だつ。ウェブでしばしば見かける。

 日本の社会の中ではドミノ・ピザのように他民族である朝鮮の人たちを支援することをすると叩かれてしまいかねない。それがあるからおもて立って支援が行なわれることがない。その中で支援を行ないそれをツイッターのツイートで報告するのは、会社の宣伝も兼ねているのはあるだろうが勇気のある行ないだろう。

 日本の国の中なのだから、日本人にたいして手助けして手をさし伸べるのがまず先だといった声もあるかもしれない。これは自国優先主義によっているものだろう。自国を第一に優先するのではなくて、遠いものを近づけて行く。それがよき歓待や客むかえ(hospitality)である。これが日本の社会の中ではいちじるしく欠けているのだと見なせる。

 過去をふり返ってみると、日本は帝国主義による植民地主義(colonialism)の拡張主義によって他の国を侵略して植民地として支配した。それで朝鮮半島や台湾や中国の東北部を日本の植民地とした。日本の天皇制の中にくみ入れて、皇民化の政策を行ない、他国の文化を否定して日本の文化を一方的に押しつけたのである。天皇のもとにみんな臣民(国民)が平等だったのではなくて、その中では階層(class)の格差があり、他民族は劣っているといったことで下の階層に置かれた。

 すでに過ぎ去ってしまったことだとしてしまわずに、日本の天皇制の帝国主義による植民地主義で日本の国がおかしたいろいろなあやまちをとり上げるようにしてみたい。それらをとり上げられるとすると、いまの日本の社会の中で困っている他民族を支援して手をさし伸べることはあったほうがよいことだ。それが欠けてしまっているのは否定できない。これは日本の国が過去の歴史をふり返ることが十分にできていなくて、過去の歴史をないがしろにしていることから来ている。それによって日本の国は自分で自分の首をしめてしまっている。

 ドミノ・ピザがやっているように、困っている他民族に少しでも支援をして手をさし伸べて行く。それとあわせて日本の国が過去に行なった天皇制による帝国主義の植民地支配によるあやまちを反省して行く。そういったことをやって行くようにすることによって、ことわざでいわれる情けは人のためならずといったようにして、日本の国の中にいるさまざまなちがいを持った人々が生きて行きやすくなって行く。そうした方向性があったらよいが、現実のいまの与党である自由民主党の政権はこれとは逆の方向性に向かっている気がしてならない。

 参照文献 『本当にわかる倫理学田上孝一 『倫理学を学ぶ人のために』宇都宮芳明(よしあき) 熊野純彦(くまのすみひこ)編 「排除と差別 正義の倫理に向けて」(「部落解放」No.四三五 一九九八年三月)今村仁司 『一冊でわかる ポストコロニアリズム a very short introduction』ロバート・J・C・ヤング 本橋哲也訳 本橋哲也、成田龍一解説