日本共産党のしんぶん赤旗の健闘と記者クラブのまずさ

 日本共産党によるしんぶん赤旗がある。この赤旗はけっこうよい報道をやっていて、政権への批判の報道でほかの大新聞社よりもすぐれた記事をつくっていることがある。なぜ赤旗はこのようにほかの大新聞社よりもすぐれた記事をつくることがあるのだろうか。それは記者クラブが関わっているところがあるかもしれない。

 赤旗記者クラブには入っていないようであり、それによってかえって特種(scoop)となる記事がつくれることにつながっている。記者クラブの中に入っている大新聞社にはできないような独自の権力チェックができる。

 記者クラブの中に入っている大新聞社でもきちんと権力チェックができているところはあるが、その数は限られている。分極化や二極化がおきていて、政権への批判のかまえを持てているところと持てていないところが分かれてしまっている。報道機関のあいだの足並みがそろっていない。

 交通論で見てみられるとすると、記者クラブには閉じたところがあり、それによってクラブの内と外とで反交通になっているところがある。認められた者ではない者を排除する装置になっている。クラブの中に入っている大新聞社などは、そこに入っていることによって政治の権力からいろいろな恩恵を受けることで特権を得ているところがあり、ぬるま湯につかっている。

 閉じたところがある記者クラブのあり方を改めるようにして、広く門戸を開く。それによって反交通を改めるようにして、開かれた自由な報道のあり方になるようにして、報道の自由がもっと高まるようになってほしい。そうなることによって国民の自己統治(autogovernment)と自己実現ができることにつながって行く。

 アメリカの大統領だったジェームズ・マディソン氏は情報の大切さについてこう言っている。国民に情報が行きわたらないと政権は笑劇か悲劇の序章かまたはその両方となる。国民が自己統治や自己実現をなすためには情報が与えられていなければならず、それによって自分を武装することがいる。

 いまの日本の政治を見てみられるとすると、笑劇か悲劇の序章かその両方のように見えるのはいなめない。人それぞれによっていろいろな見なし方のちがいはあるだろうが、個人としては与党である自由民主党の政権のていどの低さが目にあまる。とりわけ言説のところのカタリがひどすぎていて矛盾や二重基準(double standard)が多い。

 政権のていどの低さがあるとして、それは日本の報道のあり方が閉じたものになっていることと関わっているところが小さくないだろう。社会の中で経済が苦しい人たちにこそ中身のある情報が与えられないとならずその必要性が高いが、情報の自由度に階層(class)の格差がおきている。政権が秘密主義になっていて国民に広く情報が公開されていない。情報の透明性がない。政治の中心にうみや汚れがたまりつづけて行く。それを改めて行くためには報道の自由を高めていって議会の内と外の反対勢力(opposition)の力が高まることがいる。

 参照文献 『記者クラブって何だ!?』村上玄一 『メディアは誰のものか 「本と新聞の大学」講義録』モデレーター 一色清(いっしききよし) 姜尚中(かんさんじゅん) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『まっとう勝負!』橋下徹