核兵器を国際法で禁じるための条約が成立する見通しが立ったという。これが成立するためには世界の中で五〇カ国の参加が必要だったが、それが現実に集まることに成功した。
日本はこの国際条約には参加していず、参加している五〇カ国の中には入っていない。日本は世界で唯一の被爆国なのだからこれに参加するべきだとの声がいろいろなところから投げかけられているが、与党である自由民主党の政権は参加をこばみつづけている。政権の官房長官が言うには、日本には日本のやり方があり、日本はあくまでも日本のやり方で行くのだとしている。
政権は日本のやり方で行くのだとしていて、そのことについては現実主義などとのかね合いもあることから全面的にまちがっているとはいえないものの、そのことについてをどのように見なすことができるだろうか。それについてを創造性の点から見てみられるとすると、日本の国の政治のやっていることは創造性がいちじるしく低いのだと言わざるをえない。
政権が言っているように、日本には日本のやり方があり、それをやって行くのだとするのは、創造性の低いやり方にとどまりつづけることだろう。そもそも日本の政権は核兵器を世界からなくして行こうとする能動の動機づけ(motivation)をほとんど持っていない。ことがらそのものにたいする関心である内発の動機づけがないために、自分たちから能動で動こうとはしない。お金になるとか、人気度や支持や票の数値(量)が高まるとか、そういった外発の動機づけでしか動こうとはしない。
日本がかかえている過去の負の歴史についてをできるだけ見たくはないのが日本のいまの(これまでの)政権だ。日本の過去の負の歴史をできるだけ明るみにしたくはなく、隠しておきたい。明るいところだけをとり上げたい。景気のよいところだけを見たいのである。
過去の負の歴史をきちんととり上げるようにして、そこを見て行くようにすることは、資源(resource)を有効に生かすことにつながって行く。日本のいまの政権はこれができていないために、日本の社会の中にいろいろにある資源が生かされていない。そのために政権がやることの創造性がいちじるしく低くなってしまっている。
少しでも政権が創造性を高めようとするのであれば、世界から核兵器をなくして行くことにつながる国際条約にきちんと参加するべきである。それに参加しないのは、世界で唯一の被爆国である日本のやるべきことだとは言えそうにない。世界から核兵器をなくしていって、軍事力を縮小して行くために、いろいろにやることがいる必要条件となるものはすべて漏らさずにやって行くくらいでないと目標を達することは難しい。
世界から核兵器をなくしていって軍事力を縮小して行くようにする目標とは別に、日本の国がほんらいもてるはずの創造性のていど(水準)からいちじるしくそのていどが下がってしまっているのがある。それは主として政権の怠慢およびごう慢(hubris)のせいによっている。ほんらいもてるはずのていどの高さよりもいちじるしく低くなってしまっているのにもかかわらず、それをそのまま放ったらかしにしているのが政権であり、それを少しでも引き上げてほんらいのていどに戻そうとせずに、引き下げたままにとどめてしまっている。