政権によるかたよった学者の選び方と、政権の危機管理の意識と能力の欠如―危機から回避してしまっている

 政権は自分たちの気に食わない学者を日本学術会議から外した。政権が行なったこの人事について、政権の危機管理の点からどのように見ることができるだろうか。

 政権の危機管理の点からすると、政権が危機をきちんと管理できておらず、危機から回避しつづけようとしている。それがあらわになっている。そう見てとることができるのがある。

 これまでの日本学術会議の学者の人選の慣習をそのまま引きつづけて行ないつづけていれば、政権が危機を抱えることにはならなかった。それを抱えることになったのは、いまの自由民主党菅義偉首相による政権と、その前の安倍晋三首相の政権が、慣習を引きつづいて行なおうとはせずに、それを破ったのがきっかけだ。

 菅首相の政権や、その前の安倍政権のなしたこととして、慣習を破ったことがあり、そのことから政権が危機を抱えることになった。もしも慣習を破ることがなければ、政権がこのことにかんして危機をまねくことはなかった。

 危機を抱えることになった政権がやらなければならないことは、危機管理を行ない、危機に対応して行くことだ。危機から回避することではない。そうであるのにもかかわらず、危機から回避しつづけてしまっている。そう映るのがある。

 政権がやるべきこととして、危機管理をなすようにして、危機についてを体系として分析や検証をするべきである。それとともに、政権が危機を引きおこすきっかけとなることをしたのだから、修辞学でいわれる先決問題要求を果たすようにすることがいる。先決問題要求は、まず先決に解決されることが要求される問題だ。立証や挙証の責任を負っていることであり、この責任を政権は果たしていない。

 なぜこれまでにとられつづけてきていた慣習を政権があえて破ったのかの理由を、客観でかつ質と量ともに十分に説明を行なう。それをなすことが先決問題要求を果たすことであり、政権が立証や挙証の責任を果たすことである。それをいまだに果たしていないで、論点を外したりねつ造したり操作したりしてごまかしをしつづけている。

 自分たちの気に食わない学者をはずす人事を政権が行なったのは、何かのための手段としてそれを行なったことを示すから、それがどのような目的(理想)のためであり、その目的と現実との隔たりがどれくらいなのかを明らかに示す。

 現実はこうで、目的はこうで、そのあいだの落差がどれくらいあり、それを放ったらかしにすることがなぜいけないことなのかを明らかにして行く。落差があってそれを放ったらかしにすることがもしもいけないのであれば、どのような改善のための複数の手段があり、複数の手段のうちでどれがふさわしいものであり、その手段をなすことでどれくらい改まることが見こめるのか。目的と手段とのあいだの目的合理性はどれくらいあるのかを明らかにする。目的と手段が転倒する手段の自己目的化がおきるのを防ぐ。手段をなしたことによってじっさいにどれくらい改まったのかがある。逆に悪化してはいないかや、手段を打ったのにもかかわらず思ったような効果が出ていないかどうかをたしかめて行く。

 政権がやれる、もしくはやるべきこととして、これくらいのことの説明をすることはできるのではないだろうか。これくらいのことを説明すれば、ほんのちょっとくらいは政権がもつ立証や挙証の責任を果たすことにはなるだろう。いまのところは政権は自分たちがもつ先決問題要求を果たすことや、立証や挙証の責任を果たすことをしていないのだと言わざるをえない。ごまかすことやうやむやにすることにかまけている。

 政権としては、政権は正しく、日本学術会議またはそこから外された学者たちが悪いのだとしたいのだろう。そうしたほうが政権にとって都合がよい。そのことについては、たんに政権が悪い(まちがっている)とする見かただけではなくて、もっとほかの見かたもできるのかもしれない。ほかの見かたができるのはあるにせよ、その中で政権にたいしてきびしい見かたをするようにしてみたい。政権が自分たちでまねいた危機であるのにもかかわらず、そこから回避しつづけているありさまに、政権の性格があらわれているように受けとれる。

 参照文献 『危機を避けられない時代のクライシス・マネジメント』アイアン・ミトロフ 上野正安 大貫功雄(おおぬきいさお)訳 『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』香西秀信 『実践ロジカル・シンキング入門 日本語論理トレーニング』野内良三(のうちりょうぞう) 『正しく考えるために』岩崎武雄 『創造力をみがくヒント』伊藤進