パンケーキのもつ政治性と、指示(デノテーション)と共示(コノテーション)―首相が好む食べものの政治性と作為性と意図性

 パンケーキ屋に報道機関の記者たちをまねいて会を開く。自由民主党菅義偉首相はそうした会をもよおしたという。ここでいささか引っかかるのはパンケーキである。なぜパンケーキ(屋)に記者をまねいたのだろうか。なぜそれでなければならないのだろうか。

 パンケーキの政治性や、パンケーキの政治利用があるとすると、報道機関の記者たちはそこに神経を使うことがいるのではないだろうか。パンケーキの記号表現の指示(デノテーション)にこめられた共示(コノテーション)について、少しは気を配ることがあったほうがよい。

 パンケーキそのものには罪はないのはたしかだが、その指示にこめられた共示つまり暗示や派生の意味あいとしては、人々に受けのよい食べものであり、危険性がないとか、好印象をもたれるとか、華があるとか、角がなくて温和さがあるとか、そういった含みをもつ。

 日本の国のことを愛する保守主義なのであれば、洋菓子であるパンケーキではなくて和菓子を選んでもよいのがある。洋と和であれば、和を選んだほうが保守主義にはかなう。洋であれ和であれ、甘いものを食べることによって、血糖値が上がり、気分が落ちつき、批判を受けづらくなるといった政治性を見てとることができる。

 うがった見かたをしすぎかもしれないが、ただたんに菅首相がパンケーキやそれに類似したお菓子が好きなだけだとは見なせそうにない。政治において利用できるものは何でも利用するだろうから、ただたんに菅首相がパンケーキを好きなだけではなく、それを政治に利用するために用いているおそれはゼロではない。

 菅首相がパンケーキを食べたり、パンケーキ屋に報道機関の記者をまねいたりすることにたいして、いちいち目くじらを立てるのは、必ずしも的を得たことではないかもしれない。そこをあえて目くじらを立てられるとすると、ただ純粋に首相がパンケーキを好きなだけだとは見なしづらく、そこには不純さがあるのだとすると、きびしく見ればパンケーキを政治に利用するのはいかがなものかと言うこともできる。

 パンケーキの政治性の有無を有権者がどのように見なすのかは自由に任されていることがらであり、そこに問題があるかどうかは客観としては定かではない。それとは別に、報道機関の記者であれば、そのことに少しくらいは気を配って、ただたんにのこのこと菅首相にまねかれたからといってそこに出て行くだけではないようにしてもらいたい。心を許し切るのではなくて、政治権力にたいして一定(以上)の警戒心をもっておくべきだろう。そうでないと、政治権力との距離がとれず、虚偽意識が強まって行く。報道機関が国家のイデオロギー装置であることの歯止めがきかなくなる。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『情報政治学講義』高瀬淳一