性の被害者の言っていることが嘘かどうか―語用論(pragmatics)や実用主義(pragmatism)で見てみられる

  女性が性の被害にあったとして、それをどのように受けとることができるだろうか。そのさいに、与党である自由民主党の議員が言ったとされるように、女性はいくらでも嘘をつけるのだから、嘘をついているのにちがいないと見なしてしまうと、もしもほんとうのことを言っているさいに、ほんとうのことを言っているのにもかかわらず嘘だと見なされることになってしまう。

 たとえ女性であろうとも男性であろうとも、言っていることがほんとうのことなのかどうかを見るさいに、受けとるほうが、はじめから嘘を言っているのにちがいないとしてしまうと、もしもほんとうのことを言っているときには、それを嘘だと誤って見なしてしまうおそれがおきてくる。

 かりに性の被害にあった女性がいるとして、その被害にあったことを言っているさいに、受けとるほうがどのように受けとれるのか。そのさいに、一つの受けとり方としては、自民党の議員が言ったとされるように、性の被害にあっていないのにもかかわらず、あたかもあったかのように嘘を言っているのにちがいないとすることもできなくはない。

 自民党の議員が言っているように、はじめから嘘を言っているのにちがいないとする受けとり方だと、発言者から発言をおしはかるものである、修辞学で言われる人にうったえる議論におちいりかねない。言っていることの内容をじかにとらえるのではなくて、人つまり発言者がどうかによって、そこから発言の内容を決めることになる。

 人にうったえる議論におちいるのを避けるようにして、基本としては発言者がほんとうのことを言っているだろうとする受けとり方がなりたつ。これは語用論(pragmatics)と呼ばれるものだ。pragma とはギリシア語であり、行為や仕事をさすという。そこから pragmatic は実用や実際を本位とすることを意味する。ほかに独断をさすのもあるという。

 語用論においては、発話者がどのような状況に置かれているのかをくみ入れるようにして、発話者の立ち場に立ってみれば、言っていることがほんとうのことであることがありえるとする。

 実用主義(pragmatism)によって、一か〇かや白か黒かですぐさま割り切らないようにして、さしあたってほんとうのことを言っている見こみがあるのであれば、まったくの嘘だとはすぐさま決めつけないようにする。好意(寛容)の原理を当てはめるようにして、明らかに客観にだれがどう見ても嘘をついているとできるほどの具体の証拠がないかぎりは、ほんとうのことを言っているのだと受けとるようにしておく。

 もめごとがおきているさいには、その当事者がそれぞれに言っていることについて、すべての当事者がほんとうのことを言っているのだと受けとると、受けとるほうの中に認知の不協和や二律背反がおきてくることがある。その不協和や二律背反をてっとり早く片づけようとしてしまうと、発話者の状況や立ち場を切り捨てて捨象することになり、決めつけることによってきれいに割り切ろうとしてしまう。

 受けとるほうの中の認知の不協和や二律背反を早く片づけようとして、きれいに割り切るのではなくて、語用論や実用主義や好意(寛容)の原理をそれぞれの発話者に当てはめてみることがあったほうが、まちがった一方的な決めつけを少しは避けやすくなるだろう。一か〇かや白か黒かによってすぐに割り切るのではなくて、割り切りづらいところが現実にはあるから、そこをとり落とさないようにしたい。

 参照文献 『論理学入門 推論のセンスとテクニックのために』三浦俊彦 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫 『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』香西秀信現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編