自由民主党の総裁選でだれが選ばれるのかと、フタの仮説

 安倍首相のあとにふさわしいのはだれか。これまではその一位として石破茂氏がいたが、それが菅義偉氏にとって代わった。調査ではそうなったのだと報じられていた。

 これまでの安倍首相による政権と親和性が高いのが菅義偉氏だろう。だから与党である自由民主党の中の多数からおされている。それにたいして石破茂氏は自民党の中では人気がなく、あまり支持されていない。

 自民党は、日本の社会がかかえているさまざまな問題を見えなくさせるフタとして機能している。さらに、菅義偉氏は安倍政権が抱えているさまざまな問題を見えなくさせるフタとしてはたらく。このフタの仮説において、もっともフタをする機能をのぞめる人が自民党の中の多数からおされている。

 フタをするのではなくてフタをはがしそうなのが石破氏であり、石破氏をおす人たちはそこに期待をかけていると見られるのがある。フタをはがしそうなのが石破氏なので、信用ならないということで、自民党の中の多数からはおされていない。

 フタをするのと、フタをはがすのとで、枠組みが異なっていて、それらのあいだのせめぎ合いがある。このせめぎ合いの中で、どちらが勝るのかといえば、フタをするほうだろう。フタをはがそうとするほうは、悪玉化されることになり、自民党の中の多数からはおされづらい。

 フタをしつづけていれば、戦後からしばらくのあいだに行なわれつづけていた利益をみんなに分配する利益政治ができるのだという幻想をばらまきやすい。この幻想をうわべではばらまいておいて、じっさいにフタの下で行なわれることになるのは新自由主義の政策だろう。自己責任だということで、経済としてきびしい状況に置かれている個人にとって冷酷な政策が行なわれて行く。

 戦後からしばらくのあいだにできていた利益の分配の利益政治は、これから先においてできるのだとは言えそうにない。それができづらいので、国の財政が置かれているきびしい現状に向き合い、利益政治ではなく不利益分配の政治をなすようにして行く。負担分配をどうするのかをとり上げて行く。不利益分配や負担分配をやるようにするには、フタをするのではなく、フタを引きはがすようにして、日本の社会が抱えている色々な問題を見つけ出して行かないとならない。

 経済だけではなくて歴史についても自民党はフタとしてはたらいている。日本の過去の歴史においてさまざまなまちがったことが行なわれてきたが、それらのまちがったことにフタをするのが歴史修正主義だ。そのフタがあることで日本の国にとって都合の悪いことを見ずにすむ。自民党がしている歴史修正主義のフタの下には、日本の国にとって都合の悪いいろいろな過去の歴史があるが、そこにほんとうの歴史の姿を探る手がかり(こん跡)があるのだと言えるだろう。

 自助と公助と共助が国の基本なのだと菅義偉氏はテレビ番組において言っていたが、これはカタリにとどまっている発言だ。建て前にとどまっているものであり、どういうふうにも意味がとれる。もっとふみこんで見て行かないと、フタをしつづけることにしかならない。フタを引きはがすようにして、日本の社会が抱える色々な問題を見つけて行って、国民に十分に説明責任を果たしつつ、不利益分配や負担分配をどのようになして行くのかを探って行く。

 むずかしいか易しいかの点で言うと、フタをしつづけるほうが楽であり、フタを引きはがすほうが難しい。フタを引きはがすのは高度な政治の能力が求められるが、その能力をもっている政治家はあまり見当たらない。とりわけ与党である自民党の中にはほぼ皆無だろう。政治屋はたくさんいるが、政治家(statesman)はほとんどいない。大衆迎合主義におちいり、フタをしつづけるという楽な方向に進んで行く限りは、自民党は国民にたいして国家主義などの共同幻想の虚偽意識を流しつづけることになる。

 参照文献 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『年金の教室 負担を分配する時代へ』高山憲之(のりゆき) 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき)