与党である自由民主党の総裁選が注目を集めている

 だれが党の総裁になるのか。与党である自由民主党では三人の議員が総裁の候補として名のりをあげている。その中でもっとも有力として党の中ではやくも多くの支持を集めているのが安倍政権の官房長官菅義偉氏だ。

 党の総裁をだれにするのかを選ぶ中で、自民党の中の動きにはどういったことが見うけられるだろうか。その中で見られることとして既成事実化がある。とにかくこの人が総裁としてよいのだということを既成事実としてしまえば、あとは何とかなるというようなところがある。安倍政権の政治のものごとの進め方でもそれが多く見られた。

 日本人は既成事実に弱いのがあるので、ものごとが既成事実として決まってさえしまえば、それがよいことなのだろうというふうにしてしまいやすい。決まったことであれば、そこにけちをつけづらくなる。

 自民党の総裁をだれにするのかで、その選び方についてを形式と実質に分けられるとすると、実質としてふさわしい人が選ばれるようにするためには、形式にできるだけ力を入れることが肝心だ。

 形式をなおざりにして、そこに力をあまり入れず、てっとり早く実質を選んでしまうやり方が、安倍政権の官房長官を党の総裁として多数がおす動きだというのがある。官房長官を党の総裁として多数がおすのは、効率はよいかもしれないが、適正かどうかには疑問符がつく。

 形式の手つづきのところに力を入れるのであれば、党に関わる一部の関係者だけで決めるのではなくて、利害関係者を広く参加させるようにする。広く参加をうながす。選ぶ過程にできるだけ労力をかけるようにして行く。開かれた中でさまざまな声を自由に投げかけられるようにして、その中で適した人が選ばれる形にして行く。

 選ぶとちゅうの過程にできるだけ労力をかけるようにしたほうが、実質としてふさわしい人が選ばれやすい。とちゅうの過程に力を入れずに、てっとり早く選ぶのだと、労力の節約にはなるかもしれないが、ほんとうにふさわしい人が選ばれるかどうかが不たしかになる。

 日本では空気の和が重んじられるのがあるから、和によって人を選ぶことが行なわれることになり、色々なものがぶつかり合う中で最終にこれを選ぶとはなりづらいことがある。なるべく角が立たずに、波風が立たないようにして、おもて向きはみんなの息が合っているかのような選び方は、空気の和によるあり方だ。そこでとり落とされることになるのは、実質の内実がどうかの(空気によるものではない)理によるあり方だろう。

 西洋の弁証法で見られるとすると、正と反と合があるなかで、正つまり合となるのが、日本における空気の和を重んじるあり方だ。そこに欠けているのは対立するものである反だ。対立する反があれば、うまくすれば理にいたることが見こめるが、空気の和によって正つまり合となっていると、理にいたりづらくなり、非理になることがある。

 参照文献 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『絶対幸福主義』浅田次郎朝鮮語のすすめ 日本語からの視点』渡辺吉金容(きるよん) 鈴木孝夫 『事象そのものへ!』池田晶子(あきこ)