首相が式典で言うように、戦争で亡くなった人たちはみんなもれなく尊い犠牲だったということが言えるのだろうか

 戦争で亡くなった多くの国民の尊い犠牲によって、いまの日本の平和や繁栄がある。首相は日本の戦争の敗戦(終戦)の日の式典でそう言っていた。そこで言われている尊い犠牲ということに違和感があるのだとテレビ番組の出演者は言っていた。

 首相が式典で言っているように、戦争で亡くなった人たちはみんながもれなく尊い犠牲だということが言えるのだろうか。そのように言ってしまうと、悪い意味での御霊(ごりょう)信仰の見なし方になってしまうかもしれない。

 御霊信仰は日本に古くからある信仰で、亡くなった人をていねいにあつかってとむらうことで、益がもたらされるようになるとされる。亡くなった人が益をもたらしてくれるようになる。たとえ悪い亡くなり方をしたとしても、その亡くなった人にたいしてていねいにあつかってとむらうことで、益をもたらしてくれるように転化する。

 戦争で亡くなった人たちを尊い犠牲と言ってしまうと、それぞれの具体性がはぎとられて抽象なものとして捨象されてしまう。戦争で犠牲になって亡くなった人たちの全体の集合の中には、そのたくさんの量の中に色々な質がある。たくさんの量の中に色々な質があるのにも関わらず、それらがあたかもたった一つの質しかもたないように見なすのは誤りだろう。

 戦争のできごとはきわめて複雑なものであり、それをわかりやすく単純化して物語にしてしまうと、現実から離れた虚偽意識と化すことがおきてくることがある。複雑なものを複雑なままとらえることはできづらいが、色々な部分や断片を内包しているものであり、たがいに矛盾し合うものをふくむ。テクストとしてとらえられるとすると、たった一つの文脈に還元することはできづらく、いくつもの文脈がなりたつ。

 戦前や戦時中は、国家主義によっていた。国家の公が肥大化していって、個人の私を押しつぶした。国家の公が優先されて、個人の私の自由は許されなかった。国家の公にたいして個人は順応させられて同調させられて服従させられた。そのほかの選択肢はとれなかった。

 国家の公が肥大化していた中で、個人の私の人格は認められず、国家の手段や道具としてだけ認められたのがある。天皇が神とされて、天皇の手下やしもべということで国民がいることが許されたのにすぎない。天皇は神として絶対のものとして神格化されて、国民はそのために命を犠牲にすることを強いられた。神としての天皇のもつ絶対の権威が国民に徹底して叩きこまれた。国民は徹底して無力化された。

 戦争で亡くなった人たちを尊い犠牲だったとしてしまうと、西洋の弁証法で言われることからすると、肯定弁証法によることになる。肯定弁証法だと、正と反を都合よく合にすることになる。国家のために意味をもって犠牲になったのだということで、いまの国民にとって都合よく過去の戦争の犠牲者の人たちをとり上げることになりかねない。

 肯定弁証法だけではなくて否定弁証法で見ることも必要だ。哲学者のテオドール・アドルノ氏の言う否定弁証法では、正と反をいたずらに合にすることをこばむ。正と反のあり方にとどまらせる。そうすることによって、都合よく合にもって行くことを避ける。矛盾したものをたやすく合に止揚(アウフヘーベン)するのではない。

 国家にとって都合のよい客体(対象)としてとり上げるだけではなく、国家という共同幻想や虚偽意識の犠牲にさせられたことで戦争で亡くなることになったという見かたがなりたつ。戦前や戦時中は国家が狂っていたわけだが、その狂いに巻きこまれることを避けられなかった。そのことを省みられるとすると、国家の共同幻想や虚偽意識が大きくなりすぎて、狂いや陶酔やまひがおきて、国家の公が肥大化することの危なさがある。

 国家の公の肥大化が集団の全体の狂いを引きおこす。個人にたいして集団は狂いやすい傾向をもつ。集団は陶酔をもたらし、まひさせられる。狂いの総体が個人の私を巻きこむ。戦争に負けて多くの犠牲を生んだことでようやく陶酔が一時的に覚めることにいたった。あくまでも陶酔から覚められたのは一時的なものにすぎない。記憶は忘却されやすい。忘却を少しでも防ぐには国家の狂いの呪われた部分をもっと見て行くことがいり、それを見て行くようにすることが歴史をふり返ることにつながるのではないだろうか。

 参照文献 『公私 一語の辞典』溝口雄三現代思想を読む事典』今村仁司編 『丸谷才一 追悼総特集 KAWADE 夢ムック』 『権威と権力 いうことをきかせる原理・きく原理』なだいなだ