野党の政党のまとまりへの動きと、個別や単一の政策へのこだわり―もっと大局や総体を総合に見るべきだろう

 野党が大きなまとまりを形づくろうとしている。その中で、国民民主党玉木雄一郎代表は、野党の大きなまとまりを形づくる動きとは別に、自分は独自の政党を立ち上げる動きをとるつもりのようだ。その動きをとるわけとして、玉木代表は消費税の減税の政策へのこだわりを持っているのがあるようである。

 玉木代表は消費税の減税の政策にこだわりを持っているようであり、それによる勝算を見こんでいるのかもしれない。たしかに、消費税の減税をよしとするのや、反緊縮の政策をよしとする声は少なくはない。なので玉木代表の思わくは必ずしも的はずれなものではないかもしれないが、はたしてそれはふさわしいものだということが言えるのだろうか。

 玉木代表が消費税の減税の政策にこだわりを見せるのは個人の自由ではある。それを中国の思想家の毛沢東の言っていることになぞらえられるとすると、副次の矛盾に当たることだととらえられる。その副次の矛盾のうしろにある大局の主要な矛盾を認知するようにするべきではないだろうか。

 国民のためになる政治をなすためには、消費税の減税や反緊縮といったような個別の政策ではなくて、もっと大局で総体で包括の政策を見て行くようにしたほうがよいものだろう。

 副次の矛盾に目を向けるのであれば、消費税の減税や反緊縮といったような、個別の政策をよしとすることになる。それとはちがい、副次の矛盾のうしろにあるような大局の主要な矛盾に目を向けるようにするのであれば、もっと大局で総体で包括のものに目を向けることをしなければならない。総合のまとまりとしてものごとをもれなくだぶりなく見て行かないとならない。

 国民が生活に困ることになるのは、政治によって悪い統治が行なわれることによる。それをよい統治が行なわれるように改めるようにして行く。そういったような、大局で総体で包括のことを目ざして行くようにしてもらいたい。

 もしも政治によってよい統治が行なわれるようになれば、それによって国民が生活に困ったり苦しんだりすることが減って行く。悪い統治を改めるようにして、よい統治が行なわれるようにして行く。それを目ざすべきなのであって、単一の争点である、消費税の減税や反緊縮といったような個別のことをやろうとしたとしても、それによってよい統治が行なわれる保証は必ずしもない。

 消費税の減税や反緊縮の政策は、個別や単一のものであって、それらの手段の目ざすところは、国民が生活に困ったり苦しんだりすることを救うためのものだろう。それらの個別や単一の政策をなそうとしても、結果がどう出るのかは確かとは言えそうにない。確実さがそこまでない。それらの個別や単一の政策にこだわるのではなくて、もっと大局や総体や包括として見るようにして、総合としてあるべきあり方を探って行くようにしたほうが、よい統治につなげることができやすい。

 何がよい統治で何が悪い統治なのかは抽象のものだから、必ずしもはっきりとした答えがあるとは言えそうにない。その中で、よい統治が行なわれるようにするために、改めるようにするべきところは色々とあるから、それらを改めるようにして行って、形式を整えるようにして行く。国民への情報の公開をしっかりとしたり、報道の自由を高めたり、国民への説明の責任をしっかりとやったりして行く。そうして行くことを行なった先に、実体(実質)としてよい政治や統治が行なわれるようになるのではないだろうか。

 参照文献 『一冊でわかる 政治哲学 a very short introduction』デイヴィッド・ミラー 山岡龍一、森達也訳 『古典の扉 第二集』杉本秀太郎(すぎもとひでたろう)他 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)