新型コロナウイルスの感染に対応するのについて経済と安全を切り分けるようにしたほうがよいと専門家はテレビ番組の中で言っていた

 原子力発電の行政では、経済と安全がいっしょにされていた。原発の行政は政治によっておし進められた。

 原発の行政では、原発安全神話が形づくられて、芸能界や報道機関などに大量の原発マネーが流された。それで言論がいちじるしくゆがめられた。そのことの害が広くわかったのは東日本大震災原発事故がおきたことによる。

 新型コロナウイルスの感染に政治が対応するさいに、原発で行なわれたようなあり方ではないようにして行く。経済のことと安全のこととをいっしょくたにしないで切り分けるようにして行く。それがいるのだと専門家はテレビ番組において言っていた。

 専門家が言うような、経済のことと安全のこととを切り分けるようにするのは、抑制と均衡(checks and balances)をはたらかせることだろう。日本の政治では、しばしば抑制と均衡がはたらかずに、上からものごとを強引におし進めることが行なわれてきた。下からの批判の声は排除されることが少なくない。

 経済のことと安全のこととを切り分けるようにするのは、問題を分割して整理することだとも言えそうだ。困難は分割せよと言われるのがあるように、目の前の困難なことについてを要素に分解するととり組みやすい。たとえばどういう困難が目の前にあるのかをか条書きにして書き出してみて外化してみると、内に抱えこんだままよりかはとらえやすくなる。

 ぜんぶを総体として一まとめにしていっきょに片づけようとすると、ことわざでいう虻蜂取らずのようになりかねない。総体として一まとめにしてとり組もうとするとむずかしいことがある。一つひとつを個別に見て行くようにして行く。なおかついっきょに片づけるのではなく少しずつ手を打って行くようにすると安全性は多少は高まる。

 政治においては時の政権がやることであれば何でも正しいのだということになると、抑制と均衡がはたらきづらい。それがはたらきづらいことで、まちがったことが行なわれる見こみが高まる。これまでの日本の政治をふり返ることができるとすると、抑制がきかずに政治がまちがったことをしてきたことが少なくなく、均衡がはたらかないことはめずらしくないものだろう。

 時の政権のやることにたいしてしっかりと権力チェックをするようにして、政治としてまひさせられないようにしたいものである。政治としてまひさせられないようにするためには、時の政権にたいして一定より以上の間合いをとるようにして行きたい。間合いをとらずに時の政権とぴったりとくっついてしまうと、時の政権を対象化することができなくなる。

 ウイルスの感染に対応して行くためには、時の政権にかなりの賢さと創造性が求められるが、いまの時の政権にはそれらをのぞみづらい。きびし目に見ると、賢さがなく、創造性がない。そうなると国民のためになる政策がなされづらい。それにくわえて、責任の意識がとぼしく、責任の所在があいまいだ。全体責任は無責任といったような無責任の体系になっている。責任を他になすりつけるのではなく、最終の責任は政治の権力者がしっかりと負うようにすることが求められる。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『楽々政治学のススメ 小難しいばかりが政治学じゃない!』西川伸一 『創造力をみがくヒント』伊藤進 『「ロンリ」の授業』NHK「ロンリのちから」制作班 野矢茂樹(のやしげき)監修