日本にとって必ずしも対岸の火事とは言い切れそうにない、香港の表現の自由にたいする中国の弾圧

 香港の民主主義の活動家のリーダーが、香港の警察に逮捕されたという。

 中国は香港にたいする圧力を強めていて、香港の表現の自由をうばう動きをとっている。中国のことを批判するような表現や行動を許さないかまえを示している。

 香港の中だけではなく、たとえほかの国にいるのであっても、中国を批判する表現をすると、中国の法律に反したということで中国から逮捕される。中国のことを批判すれば香港にいなくてもだれでも中国に逮捕される見こみがある。中国のやっていることはめちゃくちゃなことに映る。

 アメリカを含めて西洋のいくつかの国は中国の香港にたいするあり方を批判する声明を出している。アメリカは中国に制裁をかす動きをとっている。中国のやっていることのおかしさをどれだけ文化の点から批判して行くことができるのかが問われている。

 アメリカなどからの批判にたいして、中国は内政への干渉に当たると言っている。だから口をはさむなという。中国の言っていることは通るものだとは言えそうにない。国の内政に関わることであったとしても、まちがったことが行なわれているのであれば、他の国がそれを批判することはあってよいことであり、それが行なわれるべきである。国が国内で悪いことをやったり国民の人権を侵害したりする政治の自由があるということはできない。

 中国は香港の民主主義の活動家を法律に反したとして逮捕しているが、このことをどのように見なすことができるだろうか。色々に見られるのがあり、その中で香港の民主主義の活動家に排除の暴力が振るわれていると見られるのがある。

 香港の民主主義の活動家は中国から悪玉化されやすい。中国にとっては、中国の国がもつ虚偽意識を保つことのじゃまになるから、うとましい。そこで中国は香港の民主主義の活動家を逮捕することによって、排除の暴力を振るう。もともと排除の暴力を受けやすい香港の民主主義の活動家は、中国によって下方に排除されることになる。

 中国のあり方は多元性がなく、色々なものを包括するものでもなく、ただたんに中国の国が唯一として正しいという排他のあり方になっている。排他のあり方になっていることで、中国にたいする批判を行なうことが許されていない。中国を批判する権利が認められていない。

 中国に比べて日本はどうかというと、中国ほどには排他のあり方にはなっていないが、日本では戦前や戦時中にきわめてきびしいまちがった排他のあり方がとられていた。それは一時的には反省されたのがあるが、またそれがもとに戻りそうな反動の気配がなくはない。反動の心配がまったくないと言えば現実として明らかに嘘になる。

 日本のいまのあり方は理想の多元性のあり方にはほど遠い。中国よりはまだましなのはあるが、少しでも気を抜いていると戦前や戦時中のように国民の表現の自由が許されなくなるおそれがある。戦前や戦時中のように、国家の公が肥大化して行き、個人の私がふたたび押しつぶされることになるから、気をつけておくにこしたことはない。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『宗教多元主義を学ぶ人のために』間瀬啓允(ひろまさ)編 『公私 一語の辞典』溝口雄三