弱者を救うことと、社会の中の多様性の欠如によるぜい弱性や不安定性

 社会の中にいる困っている人や弱者をいかに救うか。その手だての一つとして国の財政では反緊縮の政策が言われるのがある。そのこととは別に、多様性の点から見てみられるのがある。

 生態学では、多様安定相関の原理が言われているという。色々なものが多様にあればあるほど安定するというものだ。一様であればあるほどぜい弱だ。一様であるといざというさいにもろい。一点だけで支えられているよりも複数の点で支えられていたほうが安定度が高い。その点で言うと、日本の社会は多様性がなくて一様になっているために不安定になっている。そう見られるのがある。

 社会学の社会システム理論では、システムと生活世界があるとされている。システムは効率をよしとするもので、それが生活世界をおおって行く。システムが生活世界をおおうことで効率がよくなり便利にはなるものの、その反面でもともと生活世界がもっていたよさが失われることになる。生活世界がもともともっていた非効率ではあってもよいものがシステムによって駆逐される。

 社会システム理論で言われるシステムと生活世界は、機械論と有機体論(生気論)に置き換えられるかもしれない。システムと生活世界では、効率のよさの優位性からしてシステムが勝つことになる。それは機械論と有機体論において、機械論が勝ることに通じる。機械論の物質の豊かさなどが追い求められて、有機体論の自然の環境のよさなどが壊されて行く。いくら自然の環境が大切だといっても、機械論の物質の豊かさの追求の前にはどうしても負けてしまう。

 ほかの国の社会にも見られることではあるが、日本の社会では、物質の豊かさがよしとされていて、効率のよさが追い求められていて、数量でものごとがとらえられるあり方が主になっている。そこでとり落とされることになるのが、色々なもののもつ固有の質や質感(クオリア)だ。固有の質や質感は多様性をもつためにいるものだが、それがとり落とされて、数量だけで価値がはかられる。思想家のカール・マルクス氏の言うところでは、数量による交換価値(exchange value)がとられるが、質である使用価値は軽んじられる。

 社会の中の困っている人や弱者をどう救うかというさいに、社会の全体をおおっているシステムの中においてそれをなそうとすると、システムありきになってしまうところがある。多様性が損なわれたままになってしまいかねない。多様性がいちじるしく損なわれてしまっているのがあり、それをいかにして少しでもとり戻して行けるのかがある。それをとり戻そうとしないで、システムの中でやって行くのには限界があるような気がする。システムの中でやって行くのだと、ぜい弱性や不安定さがあることが正されづらい。

 参照文献 『科学文明に未来はあるか』野坂昭如編 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 「死に直面する精神(談話まとめ)」(「現代思想」一九八八年八月号)今村仁司