うがい薬でうがいをすることがある意味では新型コロナウイルスの感染を減らすのだと大阪府の府知事は言っていた

 うがいを行なう。そのことによって、新型コロナウイルスに感染する患者やウイルスそのものがある意味では減って行く。だからイソジンなどでうがいをすることを強くすすめる。大阪府の府知事はテレビでそう言っていた。

 大阪の府知事はテレビにおいて、イソジンなどのうがい薬でうがいをすることを強くすすめていたが、そこで言われている中で、ある意味では患者やウイルスが減って行くということの、ある意味ではというのがよくわからないところだ。府知事が言っている、ある意味では、ということはいったいどういう意味なのだろうか。

 事前と事後に切り分けて見られるとすると、新型コロナウイルスに感染する事前の防御の手だての一つとしてはうがいをすることは足しにはなるものではあるのかもしれない。事前においてはうがいはやらないよりはやったほうがよいことではあるのだとしても、ウイルスに感染してしまった事後においてはうがいをやってもそれほど意味があることではないだろう。もしも事後において意味があるのだとすると、うがいをすることが(予防を超えて)治療の効果をもつことになる。

 ウイルスに感染するかどうかは、他の人が飛ばすウイルスをふくむ飛沫をあびるとか、他の人と濃厚な接触をすることで感染するとか、密閉と密集と密接の三密になることで感染するのなどがある。自分の手にウイルスがついていて、そこから感染するのもある。そういうことで感染がおきるのがあるから、それらのどれかによって感染してしまった事後において、うがいをいくらやったのだとしても、有効な手だてになっているとはあまり言えそうにない。時すでに遅しとなっているものだろう。

 うがいを行なうのは、事前と事後のどちらにおいても有力なものではなくて、事前においてやっておいたほうがよいかもしれないことの一つに当たるものであり、事後においてまで有力なものだとは言えそうにない。事前においてウイルスの感染を防ぐためにやったほうがよいこととして、うがいをすることは、その十分条件および必要十分条件に当たるものだとは言えないものだとすると、うがいをやるだけでは十分だとは言えそうにない。

 十分条件であれば、それさえあればよいことになり(A ならば B、の A)、必要十分条件であれば、それがあるときにかぎってよいことになる(A ならば B かつ B ならば A)。必要条件であれば、それがなければならない(必要である)ことをしめす(A と B と C ならば D、の A や B や C)。

 ウイルスの感染を事前において防ぐ手だてとしては、うがいのほかにも手をよく洗うだとか、マスクをつけるだとか、三密を避けるだとかといったことがあるのだから、それらのどれかに抜かりがあるのだとしたら、うがいをやったところでウイルスに感染してしまうことになるだろう。

 うがいはやったらよいことではあるかもしれないが、それが事前においてウイルスを防ぐための絶対の必要条件と言えるのかどうかはまちがいなく定かとは言えないかもしれないし、ほかの手を洗うとかマスクをつけるとか三密を避けるといったことのほうが必要条件に当たるのだとすると、それらをやったほうが有効性が高いのはあるかもしれない。

 参照文献 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦