国や社会が困難や危機におちいることと、自由主義や立憲主義の有用性

 国が危機におちいっている。国の財政が苦しい。そのほかに国がさまざまなまずいことを抱えている。そうしたさいに、どういう手だてを打つことがいるだろうか。どういうことをして行けばよいのかがある。

 国がうまく行っていないとか危機のときがあるとして、そういうときにはなかなか有効な手だてを見出しづらい。うまい手を見つけづらい。ことわざでいう、おぼれる者はわらにもすがるといったふうになりがちだ。

 国が困難におちいっているようなときには、ついあわててしまうのはあるが、そういうときにこそ、自由主義立憲主義によるようにするのはどうだろうか。どうしたらよいのかがはっきりとわからないときには、自由主義立憲主義によるようにして、そこに立ち返るようにする。

 なにか手だてを打たなければまずいというときに、国家主義にたよるようでは、わらにすがってしまうことになりかねない。せっかくだったらわらにすがるのではなくて、それよりも多少はましなものである自由主義立憲主義にすがったほうがまだいくらかはましだ。

 国家主義はどちらかというと特殊な価値だ。一時としてしか通用しないことが多い。もうちょっと時間の幅を長くとることができるものが自由主義立憲主義だろう。国家主義だと短期の利益によりやすいが、自由主義立憲主義だと中期や長期の利益によりやすい。

 いっけんすると国家主義によることで短期の利益をすぐに得られそうなのがあるが、ことわざで言われる急いては事を仕損じるといったことになることがある。あえてあわてないようにして、中期や長期の利益を見すえて行く。ゆうちょうなことを言っていられないときもあるが、たいてい国などが失敗するときには事を急いているときが多い。功(成果)をあせって早まっているときには失敗しやすい。

 自由主義立憲主義で言われている価値には、憲法でうたわれているものがあてはまる。だからかんたんに言うと、憲法に立ち返るようにすればよいわけである。憲法で言われている価値には、究極のものとしては(すべての)個人の尊重がある。そのほかに、平和、民主主義(国民主権)、基本的人権の尊重、公平性、平等性、個人のさまざまな自由の保障、などがあげられる。

 憲法で言われている価値をもとにして、そこから色々なことを見て行けばよい。そうするとまちがいを少し避けやすくなり、安全性がやや高まる。そのさいに欠点としてはゆうちょうすぎることになるのがある。ゆうちょうなことを言ってはいられないことがあるから、そういうことには応じづらい。

 ゆうちょうなことを言ってはいられないときもあるけど、逆に言えば、そうしたときにこそゆうちょうさが必要なこともまたある。ゆうちょうさをもつべきときに自由主義立憲主義が役に立つ。てっとり早くぱっとものごとを行なうのは促成栽培だが、ゆうちょうにじっくりと時間や労力をかけて行なうのは低温熟成だ。

 ものごとをなして行くさいには、いっけんするとアクセルを踏んでいかに加速するのかが大事なようではあるが、それとはちがいブレーキを踏んでいかに減速して抑制するのかが大事なことは少なくない。アクセルを踏んで加速しすぎるとまちがった方向につっ走って行ってしまい、崖から転落したりわなにはまりこんだりすることがある。国ごと思いきり崖から転落してしまったのが日本の過去の戦争のときだ。そのさいにはブレーキが壊れていて、減速や抑制がまったくといってよいほどはたらいていなかった。

 具体論と抽象論では、具体論によりすぎるとアクセルを踏むことになって加速しすぎてしまうことがある。かたよりがおきることになるから、その具体論がまちがっているかどうかを改めて見直すためにも、抽象論によるようにするのは有益だ。それでつり合いをとるようにする。抽象論に当たるものとして自由主義立憲主義がある。

 抽象論は具体性が欠けているのが欠点だ。その欠点があるのはまちがいないが、利点としては、抽象論から見たほうがものごとの説明をしやすいのがある。具体論によらずとも、抽象論によることで、次元が引き上がるから、個別の具体論を持ち出さなくても説明ができる。次元が引き上がることは利点にもなり欠点にもなる。

 参照文献 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『まっとう勝負!』橋下徹 『警察はなぜあるのか 行政機関と私たち』原野翹(あきら) 『科学的とはどういうことか』板倉聖宣(きよのぶ) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫