緊縮の政策は絶対にまちがっていて、反緊縮の政策は絶対に正しいのかどうか

 国の財政について、緊縮と反緊縮の政策がある。この二つを二分法でとらえると、どちらがよいのかとなる。緊縮はまちがっていて悪くて、反緊縮は正しくてよいものなのだということが言えるのだろうか。

 緊縮は悪くて反緊縮はよいとするのだと、階層の秩序(ヒエラルキー)の二項対立がとられることになる。よいと悪いの二項対立を固定化させるのではなくて、流動化させることもまたなりたつ。

 緊縮がなければ反緊縮もまたない。関係主義で見られればそう見られるのがある。関係主義では関係の第一次性が言われていて、関係が先だつのだとされる。関係主義によって色々な理屈がなりたつ点に立てるとすると、緊縮の政策もまた一つの理屈だということが言えるだろう。

 色々な理屈があるのを、フランス語ではチュ・ア・レゾン(tu as raison)と言うのだとされる。レゾンというのは英語ではリーズン(reason)であり理屈や合理をさす。たった一つの反緊縮の理屈だけが絶対に正しいのだとまでしなくてもよいのではないだろうか。

 参照文献 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編