虫と国―虫のほうが国よりもより具体性がある

 虫愛づる姫君がむかしにいたそうである。物語の中の話ではあるが、この虫愛づる姫君は見かたによっては愛国者だということが言えないだろうか。色々な国の愛し方があってもよいはずだ。愛するというのは、たとえば国のような大きいものよりも小さいものを愛することがふさわしいのだと見なしてみたい。

 愛国者よりも、虫愛づる姫君のほうが正しい。決めつけではあるかもしれないが、そういうことが言えるとすると、まずなによりも虫は国よりもずっと小さい。虫は国よりも小さいので具体的だ。触知可能(tangible)だ。実用主義(プラグマティズム)にかなっている。具体的で触知できるもののほうがとらえどころがあるので愛するのに適している。国は虫よりも大きいので抽象的であり改めてみるととらえどころがない。ばく然としている。実用主義の点からするとほんとうのところは国はあるのかどうかさえも定かとは言えそうにない。国は触知不可能だ。

 人間の集合なのが国だが、虫は人間よりもより小さいのがよいところだ。人間やその集合を何が何でも愛さなければならないという絶対の理由はないだろう。人間やその集団を中心化しなくてもよいのがある。人間やその集団を中心化するのは人間中心主義だ。人間やその集団を中心化するのをいましめるためにも、虫に目を向けるのは益にならないことではない。愛国よりも愛虫のほうがより優れているということが言えないでもない。

 参照文献 『愛国の作法』姜尚中(かんさんじゅん) 『現代思想を読む事典』今村仁司