政見放送で立候補者が面白いネタのようなことを言うこと

 選挙の政見放送で、面白さをねらう。立候補者の中ではそういう方向性の人がいる。ふつう政見放送は、自分がうったえたい政治のことをまじめに言うものだが、そうではなくて、お笑いのネタのようなことを言う人が中にはいる。

 立候補者が政見放送の中でまじめな政治の内容を言うのならともかく、そうではなくてそこから外れたお笑いの面白いネタのようなことを言うことについてをどのように見なすことができるだろうか。

 そのことについてをお笑いで言われるフリと落ちによって見てみられるとすると、そのあいだの落差がおきるのがある。政見放送はもともとお笑いで面白いことを言うためのものではない。まじめな政治の内容のことを言うことを目的にするものだから、そのことによってフリがきく。

 政見放送では、あくまでもまじめな政治の内容のことを言うのが主だ。その主となることではなくて、立候補者が面白いネタを言うのは、それそのものに意外性がある。ほんらいの目的とはずれたことをすることによって、フリと落ちの落差がおきることから、面白みが生じてくるのだととらえられる。

 もともとが政見放送はお笑いで面白いことを言うことを目的とするものではないから、テレビ番組のお笑いの番組やネタの番組とはちがう。なので、政見放送を見ている受け手は、目線が低く下がっている。

 テレビ番組のお笑いの番組やネタの番組を見るさいには、よしこれから面白いものを見てやろうというふうに、受け手の目線は高く上がっている。目線が高く上がっている受け手を面白がらせたり喜ばせたりするのにはそれなり以上の内容がいる。

 目線のことについては、著名な放送作家高須光聖(みつよし)氏がインタビューにおいて語っていた。いかに視聴者の目線を下げるのかがテレビのお笑いの番組においては肝心なのだという。それが上がっていると、受け手の期待が高まっているから、笑ってもらったり面白がったりしてもらいづらい。

 受け手の目線が低く下がっているのであれば、ちょっとしたことでも面白いと受けとってもらいやすい。あらかじめ目線が低く下がっていることによって、面白いと受けとられやすくなっている。

 参照文献 『西日の当たる教室で』千原ジュニア放送作家になろう! 人気作家が語る体験的養成講座』佐竹大心とポトマック