テレビ番組はわざと東京都知事選のことをあまりとり上げないようにしているのかどうか

 東京都知事選が行なわれる。そのことをあまりテレビ番組などでは大きくとり上げていない。そこには都知事選にできるだけ人々の目を向けさせないような思わくがはたらいているのにちがいない。ツイッターのツイートではそう言われているのがあった。

 テレビ番組などでは、わざと都知事選に人々の目を向けさせないようにするために、都知事選のことを話題としてなるべくとり上げないようにしているのだろうか。選挙への関心をできるだけおこさせないようにしようとたくらんでいるのだろうか。それとはまたちがう見かたもなりたたなくはない。

 選挙では立候補者をできるだけ公平にあつかうことがいる。不公平にはあつかわないようにしないとならない。公職選挙法ではそれが定められているのがあるから、それについての配慮が欠かせない。

 テレビ番組で選挙のことを話題としてとり上げるさいには、公正さなどに色々と配慮しないとならないのがあり、たんにその話題をとり上げればよいのではないのがあるから、話題としてややとり上げづらい。そこから選挙のことをテレビ番組で報じるのが避けられることが察せられる。

 あとの理由としては、東京都では選挙が行なわれるけど、そのほかの都道府県に住んでいる人にはじかには関わりがないことなのがある。都民だけに向けてテレビ番組などを報じているのではないことから、選挙のことだけを集中してとり上げるのはできづらい。

 テレビ局としては、選挙のことよりももっと当たりさわりのないことでなおかつ視聴率をできるだけ稼げるものがあるのであれば、そちらのほうを報じることの動機づけがおきてくる。いろいろなめんどうな配慮がいり、視聴率があまり大きくはのぞめないとなると、それを報じる動機づけはおきてきづらい。

 もともとテレビ番組では、あらかじめ内容に偏向がおきやすいのがある。テレビという枠組みでものごとを報じるのは、そこにていどの大小のちがいはあったとしても、何らかの偏向がおきることはまぬがれない。選挙のことを報じるさいには、その偏向についてを意識して減らさないとならないから、それだけ労力がかかることになる。適正な内容にするためには、効率性を犠牲にしなければならない。

 わざと選挙についてを報じないようにしているという陰謀理論をわきに置いておけるとすると、理想論としては選挙についてをできるかぎり集中して大きくあつかうことをするべきだというのはあるとしても、現実論としてはそれが行なわれづらい状況などの要因が色々にある。その要因があることから、あまりあつかわれず、あつかいが大きくはなく小さい、などのことがおきてくることがおしはかれる。

 参照文献 『情報政治学講義』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)