前々々世と再々々々委託

 前々々世という歌の中の文句がある。それよりもくり返しの数が多い、再々々々委託が政治において行なわれた。ツイッターのツイートではその二つが引き合いに出されていた。

 税金を投入された大手の広告代理店が、その税金を中抜きして中間搾取する。何度も何度も中抜きすることが、再々々々委託の言い方にあらわされている。

 この再々々々委託は、あたかも戦時中の日本の軍部のあり方をほうふつとさせるもののようだ。戦時中の日本の軍部では、物資が上層や中層で中抜きされて、いちばんしたの末端の現場まで届くときにはほとんど量が残っていなかった。とちゅうで行なわれる中間搾取がひどかったので、前線の現場まで物資がきちんと届かなかったのだとされる。前線の現場では物質の欠乏にひどく悩まされた。

 おなじ言葉が何回もくり返されると言葉の関節が外れてくる。詩人のねじめ正一氏はそう言っていた。言葉の関節が外れるのは、同じことが何回もくり返されることで、それがいつまでも終わらずにずっとくり返されつづけることを思いおこさせて、恐怖がおきることによる。

 何回も同じことがくり返されると、言葉の意味の面ではなくて物質の面がおもてに出てきて、形態(ゲシュタルト)が崩壊することがおきてくる。ふだん言葉を用いているときには安全地帯(ステロタイプ)の中にいるが、その外に出ることになるのをあらわす。

 生理学者のイワン・パブロフ氏によると、反射には無条件反射と条件反射があるという。無条件反射は先天のもので、条件反射は後天に身につけられる。こういう条件のさいにはこういう反射をするというふうに結びつく。この結びつきには恣意(しい)性がある。より高次の条件反射が大脳で行なわれるのが言葉を使うことで、抽象のはたらきだ。

 後天に身につけられる条件反射の中で、日常の中で安定した反射が安全地帯になる。その安全地帯の中で日ごろは安住して暮らす。これは科学でいわれる認知の枠組み(パラダイム)に通じる。この枠組みが変わることがあり、そのさいには不安定になる。それまでの安全地帯の外に出ることになる。

 参照文献 『ぼくらの言葉塾』ねじめ正一 『軍旗はためく下に』結城昌治(ゆうきしょうじ) 『死に急ぐ鯨たち』安部公房