日本のことを悪く言うことに税金を使うのは無駄なことなのかどうか

 愛知県で開かれた芸術や文化のもよおしでは、天皇を否定するような表現がとり上げられた。そのことがよくないことだということで、愛知県知事に辞職をせまるうったえがおきている。

 もよおしには税金が使われたのがあるから、税金を無駄なことに使ったのだということが言えなくもないが、そのように言うことができるのだろうか。また、税金の使いみちとして、日本の国を悪く言うようなことには税金を使うべきではないのだろうか。

 税金の使いみちのよし悪しについては、それが無駄になるかならないかがあるが、それがどうかは目的や立ち場や期間によってちがってくる。日本の国にいる日本人にはさまざまな人がいるし、日本人だけがいるというのでもないから、すべての人にとって無駄な税金の使い方とは言い切れず、またすべての人のためになるように使われるとも限らない。みんなが同じ状況の中で生きているのではないし、同じ思想をもっているとは言えないのがある。

 日本を悪く言うようなことに税金を使うのは駄目なことなのかどうかというのについては、そうしたことに税金を使うことがあってもよいのではないだろうか。それがあってもよいのがあるので、そうしたことに税金を使うことがあったとしても、完全に客観に税金が無駄に使われているとはなりづらい。

 日本をよく言うか悪く言うのかでよし悪しを見てしまうと、短期の視点による利益をとることになりがちだ。それがとられることがあったのが戦前や戦時中の日本のあり方だ。そのさいの日本は短期の利益を得ることにつっ走って行った。それで多くの国民に害がおよんで戦争に負けることになった。

 日本のことをよく言うか悪く言うかだけだと短期の視点によることになるので、そこには科学のゆとりが欠けることになりがちだ。いまの時点の視点によりすぎている。いまの時点の視点で、短期の視点によりすぎると、あとから見て否定されることになる見こみが低くない。それだと長い目で見たら意味あいが薄いことになる。

 短期の視点ではなくて長い視点から見てみれば、日本を悪く言うことがあってもよいのがある。長い目で見れば、日本を悪く言うことがあったほうが、それが日本のためになることがある。日本のことをよく言うことが悪いというのではないが、それだけではなく悪く言うこともあってよいはずだし、それがあったほうが日本の悪いところを見つけることができやすい。

 肯定と否定があるとすると、肯定にはよいところだけではなくて悪いところもある。否定には悪いところだけではなくてよいところもある。肯定にはプラスもあればマイナスもあるのがあり、否定にもまたマイナスだけではなくてプラスもある。肯定がプラスにはたらくだけとは限らないし、否定がマイナスにはたらくだけとは限らない。だから、否定がもつプラスのところにも目を向けることができる。

 戦前や戦時中の日本は、日本はよい国だということで、肯定のプラスのところだけを見て、否定のマイナスのところだけを見ていた。肯定がもつマイナスのところをとり落としていたし、否定がもつプラスのところをとり落としていた。そのことによって抑制と均衡がはたらかず、権威化と専制化がおきて、全体主義となって、おかしな方向につっ走って行くことになり、敗戦にいたったのがある。

 日本はよい国であるにちがいないということで、日本をよく言うことにだけ税金を使うのがよいのだとすると、日本はよくあるべきだという当為(ゾルレン)のあり方をとることになる。それだと日本のじっさいのありようと隔たりがおきることになることがあるから、そこに気をつけないとならない。

 日本のじっさいのありようと隔たりがおきないようにするためには、日本はかくあるべきだというような当為をとるのではなくて、実在(ザイン)をとるようにしたほうがよい。実在というのには色々なものがあるのだから、日本がよいというのだけではなくて、悪いというのもあってよいはずである。

 日本はよい国だし、そうあるべきだというのは当為によるもので、その当為によるあり方が強かったのが戦前や戦時中の日本のあり方だろう。そのあり方によっておかしい方向につっ走って行ったのがあるから、それを省みるようにするのであれば、当為をたやすくとるのではなくて、実在をとるようにして、実在の中には色々なものがあるのだということを許したほうがよい。

 実在で色々なものがあることの中には、日本をよく言うものもあるだろうが、悪く言うものもある。悪く言うものがあったとしても、それが日本にとって悪くはたらくとは限らない。日本のことをよく言うのだとしても、それが日本の国にとってよくはたらくとは限らない。それは戦前や戦時中の日本のあり方を見ればわかることだろう。たとえ日本のことを悪く言うことにたいして税金を使うことがあったとしても、完全に客観に無駄になっているとは言い切れないのではないだろうか。

 参照文献 『無駄学』西成活裕(にしなりかつひろ) 『逆説の法則』西成活裕歴史学ってなんだ?』小田中(おだなか)直樹 『靖国史観』小島毅(つよし) 『対の思想』駒田信二(しんじ) 『ベンヤミンの〈問い〉 「目覚め」の歴史哲学』今村仁司