政治の発言をすることと、鉄の三角形―国民がおいてきぼりにされる

 いまの首相の政権が行なう政策は、ほんとうに国民のためになっているのだろうか。それははなはだあやしく心もとない。人によっては頼もしいとかよくやっていると見る人もいるだろうけど、みんなをもれなく納得させられるほどによくやっているとは言い切れそうにない。

 日本の政治には鉄の三角形があるのだと言われる。いまの首相による政権は、この鉄の三角形を強めることをしてしまっている。それを強めているのは、そのほうが政権や与党にとって益にはたらくからだ。

 鉄の三角形が強まることで、国民がおいてきぼりになってしまう。この三角形の中にいる政治家と役人と利益団体とでうまみとなる益を分け合う。政権のことをよしとする人の一部はこの三角形の中に入れてもらえることもあるが、その中に入れないではじき出されることになることが多い。

 芸能人などの有名人が、政治の発言をして政権のやることを批判するのがよくないと見なされるのは、鉄の三角形を保つのにじゃまになるからなのがある。できるだけ芸能人などの有名人をふくめた国民が政治に関わってほしくない。とくに政権を批判する形で政治に関わられると、政治家や役人や利益団体にとっては益を損なうことになりかねない。だからできるだけ政治の発言をして政権を批判してほしくないし、政治に参加してほしくないのである。

 鉄の三角形が保たれつづけることで、国民に益になる政策が行なわれづらくなる。政治家や役人や利益団体に益になるような政策は行なわれやすいが、そこにひもづけられないような、純粋に国民の益になる政策は行なわれづらい。国民の益になる政策が行なわれるさいにも、政治家や役人や利益団体の益になるようにひもづけられて、条件づけられる形になるから、ねじ曲がることになる。最終の出力として出てくる政策におかしなものが出てきてしまう。

 国民の一般というのは政治家にとっては顔が見えづらい。だからいちばんあと回しにされやすい。多数ならまだしも、少数で顔が見えないとなおさらあと回しにされる。政治家にとって票にならないものは無視されがちだ。

 政治家は国家のためを思い、国民のためを思う、というのは現実ではなくてカタリ(騙り)に近い。政治家がもっとも気をくだいているのは国家でもなく国民でもなく票である。政治家は国家や国民のことが大事なのではなくて、票になるかどうかが肝心なのだ。国家や国民を愛するというよりも、票を愛する心をもつ。計算の理性だ。

 政治家は顔が見える人を優先しやすい。顔が見えやすいものの代表が、政治家の仲間うちまたは支持者である役人や利益団体である。政権のことをよしとするとり巻きをふくむ。日本の政治には、閉じていて開かれていないところがあり、閉じた中での仲間うちをひいきしようとする不公平や不公正のぜい弱性があることがかいま見られる。

 政治家がさいごまで国民の面倒を見ることをのぞむことはできるのかというと、それはのぞみづらい。戦前や戦時中のありようをふり返られるとすると、そのさいに重んじられていたのは、国民ではなく、国家や国体だ。

 日本の過去では、天皇をあがめる国体を守ることがさいごまで重んじられていて、国民はその目的のための道具や手段にすぎなかった。国民はかえがきくが、天皇をあがめる国体やそれにまつわるものはかえがきかないとされた。国民よりも、天皇にまつわる馬や物のほうが(天皇にまつわるということで)価値が高かった。

 かつての日本では天皇は神とされていて、神に近いもののほうが価値は高く、遠ければ価値は低い。人間だからということではなく、天皇から近いか遠いかで価値がはかられる。国民も、天皇の臣民(しんみん)または赤子ということではじめて認められる。たとえ物や動物であっても天皇に近ければ価値は高いし、たとえ人間であっても天皇から遠ければ価値はない。

 戦前や戦時中のさいをふり返ってみると、国民はいちばんに重んじられるものだとは言えないから、そこに注意することがいる。国の軍隊も、国民のことを守るのではなく、天皇をあがめる国体を守るものだった。国民はかえがきくので犠牲にされてもかまわなかった。国民は国家のための捨てごまにされるのでもよい。国民ではなく国家を守るのは特殊なあり方というよりも国家の軍隊の本質に近い。

 国家主義のまちがったあり方が改められて、国民が重んじられるようにすることがいる。それとともに、いま生きている現役の国民が重んじられることによって、将来の国民の利益が損なわれることがないのがのぞましい。将来の国民につけが回されるようなことはできるだけ行なわれないほうがよいが、それが行なわれてしまっている現実がある。

 参照文献 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『憲法が変わっても戦争にならない?』高橋哲哉 斎藤貴男編著