中国をひいきすることと中華思想―中心に位置するものとしての中華や中国

 世界保健機関である WHO は中国寄りだ。中国をひいきしている。中国を中心化している。アメリカのドナルド・トランプ大統領による政権はそう言っていた。世界保健機関のあり方がおかしいということだ。

 新型コロナウイルスへの対応をめぐって世界保健機関は中国に寄ったあり方になっているのだということが言えるのだろうか。それについては人によって色々な見なし方があるものだろう。トランプ大統領の政権が言うように、中国をひいきしているという見かたもなりたつ。

 中国に寄ったあり方で中国が中心化されているというさいに、そもそも中国というのは世界の中心をさすのがある。中国の中華思想では、世界の中心が中華であり中国だとされるから、中国が中心化されるのは中華思想からするとおかしいことではない。

 中華思想では優劣関係がとられる。中心の中華は優で、辺境は劣だ。中心は中華で、文化や文明が華(はな)ひらくところだ。辺境にあるものは夷狄(いてき)と見なされて見下される。すぐれている華か、もしくは劣っている夷かに分けられる。夷は野蛮なものだ。

 すぐれている華はたった一つあるもので、ほかの多くは劣ったものだとされる。たった一つのすぐれた華に並び立つものはほかにはない(あってはならない)。

 日本や中国をふくめて東アジアの国々は中華思想をもつ。学者の古田博司氏はそう指摘している。日本にもまた中華思想はあり、それは自民族中心主義のもので、日本をよしとする思想だ。それで戦争につっ走って行った過去がある。戦争のすぐあとにはそれが一時として反省されたが、ことわざでいうのど元すぎれば熱さを忘れるではないが、戦争の記憶は風化してしまい、忘却がすすみ、日本をよしとして中心化する動きがこりもせずにおきてきている。

 西洋では昔のギリシアはまわりの国のことをバルバロイと言った。ギリシアのまわりの国は、ギリシアとはちがった言葉を使っていて、それをバルバロイと言ったのだとされる。これは英語ではバーバリアンである。ギリシアは華でまわりは夷としていたことになる。

 中華思想では中国が中心化されるのはおかしいことではないとはいっても、それは自民族中心主義のあり方だから、よいあり方だということは言えそうにない。中華思想においては世界の中心にあるもののことを中華や中国と呼ぶことになるが、それとは別に、世界保健機関をふくめて世界の秩序においては、国際協調主義や自由主義によってできるかぎりそれぞれの国が協調するようにやって行くのがのぞましい。どこかの国が特権化されて中心化されるのではなくて、脱中心化されるようにして、自民族中心主義が強まりすぎないようにしたいものである。

 参照文献 『心で知る、韓国』小倉紀蔵(きぞう) 『歴史認識を乗り越える』小倉紀蔵