政権がおし進めることと分断―社会の分断が深まるおそれ

 検察庁法の改正案では、一つだけではなくて、二重の意味での必要性がどうかがあげられる。

 一つには、この改正案をいまの時点で通すことがいるのかどうかの必要性だ。新型コロナウイルスの感染で大変なときにどうしてもやることがいるのかどうかである。

 もう一つには、改正案については少なからぬ反対の声がおきているものだから、そこには人々の分断がおきてしまっているのがうかがえる。いまウイルスの感染に対応しないといけない大変なときに、分断を引きおこしかねないようなことを持ち出さないといけないわけは何なのかがある。

 今年の憲法記念日に、わざわざ首相は憲法の改正を支持者に向けてうったえた。そのことで、人々の分断が引きおこされてしまうようなことが言われた。いまはウイルスの感染に対応しないといけない大変なときなのだから、そのときには人々の分断が引きおこされてしまうようなことを持ち出すのはなるべくひかえるようにすることもできただろう。首相はそれをせず、たとえ人々の分断がうながされたとしても、自分の信念を(悪い意味で)曲げなかった。自分の信念を優先して、それに固執した。

 検察庁法の改正案を、いまどうしても通さなければならないというほどではないのなら、科学のゆとりをもつようにするのはどうだろう。科学のゆとりをもつようにして、いま何がなんでも通そうとするのではなくて、いったん待ったをかけるようにしたり、見直して見るようにしたり、切り分けて見るようにしたりすることができる。それをせずに、ゆとりを持たずにせかせかと急いで通すのだと、誤りが含まれていても見落としてしまうことがおきかねない。

 参照文献 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ)