緊急のさいに政府を批判しないようにすることと情報政治―情報の(秘匿ではなく)開示の必要性

 緊急のときだから、政府のことを批判するのはつつしんだほうがよい。

 新型コロナウイルスへの感染が広がっている中で、政府への批判をすると政府の活動がさまたげられかねないことから、一部の著名人などは政府への批判はやめようということを言っていた。

 政府への批判ということでは、情報の点から見てみることができるとすると、その点から見てみるようにしてみたい。

 情報の点では、まず政府が情報を隠したり操作したりすることはのぞましいものではない。国民の知る権利を十分に満たすことができるように、国民に情報を開示することがあることがいる。それが無いまたは十分ではない中で、政府への批判をつつしむようにして、政府に任せるようにしても、のぞましい方向に進むことは必ずしも見こみづらい。

 国民の知る権利がきちんと満たされるようにして、あくまでも民主主義によってものごとが進められるようにする。政府にはそれが求められるのがある。きちんとしたことを政府がやっているのであれば、国民にたいして政府が何をやっているのかの情報を開示することができるはずだ。政府が情報を隠したり操作したりすることはいらなくなる。

 緊急のときには、国民にとって問題がおきていることをあらわすから、その問題を解決することに益になる情報が色々と示されると役に立つ。問題の解決に役に立つような情報が色々と国民に示されればよい。そうした情報が示されることが十分に行なわれずに、たんに政府に任せるだけだと、政府がきちんとしたことをやっているかが定かとは言えそうにない。

 情報が隠されたり操作されたりすることで、いまどのような問題がおきているのかがわかりづらくなる。その中で政府に任せるようにしても、どういう問題があって、それにたいしてどういうとり組みが行なわれているかの具体のことがわかりづらい。

 国民の知る権利がきちんと満たされるようにして、どういう問題があるのかが整理されて、それらの問題にたいしてどういうとり組みが行なわれているのかが示されればわかりやすくなる。核となるのはこの問題で、その周辺にはこういう問題があって、それらについてどういうとり組みが行なわれていて、どういう方向に向かおうとしているのかがある。

 問題が整理されていて、それについての情報が示されて、国民がそれを受けとって知ることができたほうが、たんに政府への批判をつつしんで政府に任せるだけなのよりは、まだ少しはつかみどころがある。

 情報の点で言うと、よらしむべし知らしむべからずのようになって、政府が国民にたいして情報を隠したり操作したりするのでよいのだとは見なしづらい。それだと国民にたいして問題に関わるきちんとした情報が示されなくなる。国民の知る権利がさまたげられてしまう。

 国民が問題に関わる情報を色々に受けとれて、そのうえで政府を批判することがいるのだと見なしたらそれができて、それがいらないのだとしたらそれをしないでもすむ。みんながまったく同じような行動をするのではなく、それぞれの人の主体の判断があるていどきくようになっていたほうが公共性の点ではよいのではないだろうか。

 参照文献 『情報政治学講義』高瀬淳一 『「ロンリ」の授業』NHK「ロンリのちから」制作班 野矢茂樹(のやしげき)監修