首相と東京都知事のマスクの大きさの対照性

 首相が自分で国民に配ることを決めたとされる布マスクがある。これは基本として大きさがやや小さめだ。体がやや大きめの首相の顔にぴったりと合っているとは言いがたく、首相の顔にはやや小さめに映る。

 首相は自分で配ることを決めたからか、自分で身をもって布マスクをつけているが、これと対照をなすのが東京都知事だ。都知事はかなり大きめのマスクをつけている。

 この都知事の大きめのマスクについて、記号論でいわれる共示(コノテーション)によって見られるとすると、これは首相の布マスクを皮肉や批判をする意味あいがこめられていると見てとれる。都知事のつけるマスクには機能や実用のためだけではなく記号的な意味あいを含む。

 記号論でいわれる共示は、おもて向きの意味あいである指示(デノテーション)にともなって含まれる意味あいだとされる。たとえば、経済でいうと、資本主義と共産主義があるとして、それらはたんに制度のちがいをさすとすると指示だが、資本主義はよくて共産主義は悪いという意味あいを暗にともなうのが共示だ。

 首相の布マスクは首相の顔にはやや小さめに映るが、都知事がつけるマスクはそれとはちがい大きめだ。都知事は首相とはちがうということでマスクの大きさにおいて差別化をはかっていると見られる。マスクの大きさによって訴えることをしなくてもよいのはあるが、首相による布マスクの政策(その他の政策についても)は有効性についてきびしく批判されてもよいものではあるだろう。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『そうだったのか現代思想 ニーチェからフーコーまで』小阪修平(こさかしゅうへい)