ウイルスをどう見なすのかと近代における再帰性

 新型コロナウイルスには近代における再帰性がある。そう見なせるのがあるかもしれない。

 後期の近代にはとくに再帰性(reflexivity)があるとされ、あることがたしかにそうであるという絶対の根拠を見いだしづらい。自分と外界とのあいだに相互流通がおきて、お互いに反映(反射)し合う。現実そのものをじかにとらえているというよりは、報道などを通した間接の疑似環境になっている。

 再帰性があることから、言語行為論でいわれる遂行(パフォーマティブ)と事実(コンスタティブ)のあいだの分類線をはっきりと引きづらい。分類線が揺らぐ。遂行は必ずしも事実ではないもので、現実と整合や対応していなくてもよいものである。言うこととやることである言と行が合っていないものをふくむ。

 ウイルスをとらえるさいに再帰性がはたらくことで、まちがいのない確かな絶対の根拠をもちづらい。不たしかなところがおきてくる。

 ウイルスへの感染について、大げさに騒ぎすぎだと見なすのは、そこに再帰性がはたらいているのがあるため、まちがいなくふさわしい見かただと言えるのかは定かではない。

 再帰性がはたらくことから、ちょうどぴったりのところに参照点を置くことができづらく、参照点が高めまたは低めとなっている見こみがある。高めなら低め、低めなら高めというふうに、逆に当たるものに裏切られることがもしかするとおきてくる。

 再帰性がはたらくことで、ウイルスへの見なし方に偏りがおきることから、もっともふさわしい答えである大局の最適に当たるものが何なのかを探りづらい。こうすればもっともふさわしい大局の最適に当たるのだというのをはっきりと断言することができづらくなっている。どこかで局所の最適化のわなにはまってしまっていることがあるのを避けづらい。局所の最適化のわなにはまっているとすると、ほんとうは登るべきではないまちがった山に登ってしまっていることになる。

 参照文献 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『日本を変える「知」 「二一世紀の教養」を身につける』芹沢一也(せりざわかずや) 荻上チキ編 飯田泰之 鈴木謙介 橋本努 本田由紀 吉田徹