政府への批判をやめるようにすることと、批判についてのゲリマンダリング

 ウイルスへの感染が広がっている緊急のときだから、政府への批判はやめよう。著名人の一部はそういうことを言っている。これは正しいことだと言えるのだろうか。

 このことについては批判についてのゲリマンダリングによって見てみられる。

 ゲリマンダリングはアメリカの政治家のゲリーととかげであるサラマンダーからなる造語だとされる。ゲリーは自分に有利になるように(とかげ形に)選挙区の線引きをしたことから、ある人にだけ有利になる不公平な線引きの引き方をさしていう。

 かりに政府への批判をやめようということを全面としてよしとするのなら、政府への批判がまったく行なわれなくなってしまう。それにくわえて政府への批判をやめようという意見にたいしても批判が行なわれないことになる。

 政府への批判はやめようという意見はまったくの無びゅうであるとは言い切れず可びゅう性をまぬがれるものではない。誤りが含まれているおそれがある。なので絶対の正解とまでは言い切れず、さしあたっての暫定(ざんてい)のものにとどまるものだととらえられる。

 政府への批判はやめようということについてもまた批判をすることがなりたつ。そのようにさまざまな意見に例外をもうけずに批判ができるようであったほうが、何か一部のことについてだけ批判をしてはならないと不当に特権化するゲリマンダリングになるのを避けられる。

 政府への批判をするのはやめようということを含めて、すべてのことが基本として例外なく批判にさらされるようであったほうが、それだけきびしい目が注がれることになるから、多少はまちがいを避けやすくなることが見こめる。一つの意見や見解というくくりでとらえられるとすると、それがまったくまちがいのない無びゅうによるのだとは見なしづらく、どこかに大または中または小のまちがいが含まれていることがあるから、それをとり除くことができれば益になる。

 参照文献 『構築主義を再構築する』赤川学反証主義』小河原(こがわら)誠