国民に一〇万円を配ることと、利益分配と不利益(負担)分配

 みなが一〇万円をもらうのは利益分配だ。みながもらうのではなくてもらうべきではない人が一部いるのだとするのは、利益分配の中に不利益分配が混ざっている。そう見なせるかもしれない。

 日本では政権がすみやかに国民に一〇万円を配ることを決めたのではなかった。新型コロナウイルスへの感染が広まっている中で、生活に困る人が出てきているのがあるのを受けて、先手を打って国民に一〇万円を配ろうとしたのだとは見なしづらい。どちらかというとやむをえずしぶしぶ一〇万円を配ることになったというふうである。

 与党である自由民主党が自分たちから動いたのではなくて、連立を組む公明党の代表がおどしつけるようにしてそうとうに強く首相にうったえかけたことによって、政権の重い腰がやっとのことで動いた。ほんとうのところはわからないが、一つにはそう見なせるのがある。

 この動きが何をあらわしているのかというと、一つには、日本にはもはや国民にたいして利益を分配するだけの力がないことを意味しているのではないだろうか。国民にたいして利益を分配できるだけの国の財政のゆとりがまったくない。たとえ利益を分配したいのだとしても、その元手がない。ことわざで言う、ない袖は振れない。その逆にあるのは国の財政の赤字である。

 国の財政の赤字をどのように見なすのかは色々な説があるから、こうだというふうに決めつけてしまってはいけない。その中の一つの説としては、日本の国はもはや国民に利益を分配することができなくなっていて、不利益や負担の分配を避けられなくなっているのがある。

 不利益や負担の分配が避けられなくなっているしるしとして、それをおもて立ってはやらないが、裏ではそれをやっているのは見逃せない。年金の支給の時期の引き上げや税金や保険料の引き上げなどがそれに当てはまる。

 不利益や負担の分配をどうするのかについては、おもて立って国民にうったえかけることがいるが、それをやるとたちまち国民からの支持を失いかねないし、またそれをやるだけの説明の力がいまの政権にあるのだとは見なしづらい。

 ほんらいであれば、きちんと国民にたいして説明をすることがいるが、それを抜きにして、説明が欠けている中で不利益や負担の分配が裏で行なわれる。これはいまの政権に説明をする力が足りていないことを示す。これを改めるようにして、国民にたいして説明をするようにして、裏でやるのではなくておもて立ってきちんと不利益や負担の分配をどうするのかを争点としてとり上げるようにしたほうがのぞましい。

 国民にたいして十分なだけの利益を配れるのであればそれに越したことはないが、それができなくなっていて、不利益や負担の分配をどうするのかが避けられなくなっている。このことを争点としておもてに出してとり上げるようにしたい。いまだに利益の分配はできるのだという説とそれができなくなっているというのとで、色々な説があるのをくみ入れて、どのようにすれば国においての大局の最適に近いことができるのかをさぐるようにできたらよい。

 参照文献 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『年金の教室 負担を分配する時代へ』高山憲之(のりゆき) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき)