自由の国であるアメリカと、社会がかかえる矛盾―社会的矛盾

 アメリカは自由の国だとされる。そこから、自由に行動させろということでアメリカのいくつかの州で人々のデモがおきたという。

 デモがおきたのは、アメリカのドナルド・トランプ大統領のツイッターのツイートに呼応したところがあるという。トランプ大統領は、人々の行動の自由が制限されているのからの解放をツイートで呼びかけていたようだ。

 人々の行動の自由が制限されていると経済の活動ができず、国の全体の経済が落ちこむことから、トランプ大統領にとって都合が悪いからだろう。大統領への支持率が落ちてしまう。

 新型コロナウイルスへの感染が広がっている中で、いかにして社会状態の秩序を保つのかがある。社会契約説ではそういうことが言えそうだ。

 アメリカは自由の国だとはいっても、ウイルスへの感染が広がっていてまだおさまり切っていない中で人々の行動の自由を全面に優先してしまうと、社会状態の秩序が崩れてしまいかねない。自由を優先してしまうことで社会状態が崩れて自然状態となると、社会が保ちづらくなる。

 引いた視点から見れば、自由をもっとも優先するのではない行動を人々がとるようにすることで、社会状態が保たれて、全体の効用はそれなりに大きくなる。全体の効用は大きくは損なわれづらい。まちがいなくそうなるとは言えないが、それが見こめるのはある。

 個人に引きつけた視点からすると、自由をもっとも優先する行動をとることは、そのときの自分の効用を大きくすることになるとしても、社会状態が保てなくなって自然状態となってしまえば、全体の効用が大きく損なわれてしまう。自分の首をしめることにつながる。そうなってしまう危なさがある。

 国の秩序が部分として崩れてしまっていて、亀裂がおきている。社会状態ではなく自然状態になってしまっているところがある。自然状態では万人による万人の闘争となり、それぞれの人が自分の自己保存を保とうとするように動く。社会状態の前にはそうした悲惨なありさまがあるのだと言われている。

 社会契約説は現実というよりは虚構の説明だ。現実そのものではないからそれをさし引いたうえでのものではあるが、社会を抜きにした(その手前の)自分の自己保存の動きがおきているとすると、その個人の自己保存の動きと、社会を保つようにすることとのあいだに矛盾がおきてくる。社会が抱えている矛盾に当たる。

 参照文献 『社会的ジレンマ山岸俊男現代思想を読む事典』今村仁司