国民にそれぞれ一〇万円を配る政策と正義―配分の正義

 一家五人の世帯だと、合わせて五〇万円をもらえる。ところが、たとえば非正規雇用で働く一人の世帯の人は、一〇万円しかもらえない。これは不公平なことなのではないか。テレビ番組の出演者はそう言っていた。

 たしかに、一人あたりに一〇万円が配られるのを、世帯として見ると、色々な世帯があることから、公平ではないように映る。困っている人に十分な額のお金が与えられるのだとは言えそうにない。

 新型コロナウイルスへの感染が広がっている中で、国民にお金を配るのは、正義が関わってくる。正義では、その人が得られるべきものをその人が得られるようにせよ、というのがある。その人にふさわしいものをその人にあらしめよ。哲学者のアリストテレスはそう言う。これは形式のものであって、じっさいにそれぞれの具体の人がどのくらいのものを得られることがいるのかははっきりとはしていない。

 配分の正義では、主義としては社会主義共産主義がある。社会主義の理念はその人の必要に応じてその人が得られるようにする。共産主義ではその人の働きに応じてその人が得られるようにする。たしかそうしたことが言われていた。理念どおりには現実はならないのがあった。資本主義では市場の原理によっているので配分の効率性が高いとされるが、その反面でじっさいには無視することができない経済の格差を生んでいる。

 配分の正義としてどのような配分のあり方がふさわしいのかがある。政府が国民にお金を配ることでは、それぞれの人がみなもれなく十分な額のお金を得られるのであれば文句は出づらい。まったく制約がなければそれができるが、現実には国の財政の制約がかかってくる。これについてはちがう意見もあって、制約がないとか、制約がゆるいという見かたもできるかもしれないから、きつい制約があるとするのだけが正しいのではないだろう。

 国民一人にそれぞれ一〇万円ずつ配る政策が行なわれる予定だが、これは配分の正義からすると、完全に公平であるとは言えず、不公平になるところがあるし、効率性がきわめて高いとまでは言えず、また完全に十分な額が配られるのだというのではない。国の財政の借金が増えることのまずさもある(これについては諸説あり)。大局の最適になっているとまでは言えず、局所の最適にとどまるものではあるかもしれない。

 参照文献 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『これからの「正義」の話をしよう』マイケル・サンデル 鬼澤忍訳