ウイルスへの感染に対応するための国の二つの選択肢

 ウイルスへの感染がおきて、死亡者が出る。死亡者が多く出たとしても経済を回す。経済を優先させる。それとも、死亡者をできるだけ出さないように防ぐようにはするものの、(税金がかかることから)国の財政の破綻の危険性がおきる。そのどちらをとるのかを政権は国民に示すようにする。それが気迫の政治だ。元政治家はテレビ番組の中でそう言っていたようだ。

 たしかに、元政治家が言うように、死亡者を出さないようにするための政策を行なうのには税金がかかるから、国の財政の破綻の危険性はおきてくるのはあるかもしれない。これについては、国の財政は破綻はしないのだという意見もある。気にすることなくたくさん国民にお金を配ったり税金を使ったりすればよいというのもあり、色々な見かたができるのはあるだろう。

 国の財政が破綻する危険性があるというのはあくまで仮定にすぎないだろうが、財政が破綻することはないというのもまた仮定だととらえられる。おそらくともに仮定である点では共通点がある。仮定であることから、(まちがいなく)何々だ、とは断言できづらい。何々だろう、となる。かりに国の財政が破綻するという仮定をとるとすると、もしもそうなったら国においてとても大きな負のできごとになる。ウイルスへの感染とは別に(さらに)、少なからぬ国民の生活が立ち行かなくなることになる。

 死亡者をたくさん出しはするが経済を回すのか、それとも死亡者をできるだけ出さないようにはするが国の財政の破綻の危険性がおきるのか。このように二者択一にすると、わかりやすいという効用がある。元政治家は、二つをきちんと国民に示すようにするのが気迫の政治だと言っているが、これをうら返せば、きびしく言えば政権はいい加減さやあいまいさによって政治を進めているように映る。

 選択肢ということでいえば、与党が一強(一権)であることから、与党のほかのめぼしい選択肢が欠けてしまっている。与党の政権に頼らざるをえないという不健全なあり方になっているのはいなめない。与党かそれとも野党かという選択肢にとぼしく、政治の多元性が損なわれていて、一元の権威主義になっているのが強い。

 二者択一の選択肢はわかりやすいのはあるものの、それだけではなくて、選択肢(選言肢)をもっと増やすこともできるかもしれない。二つだけではなくてまだ選択肢がほかにあるかもしれないから、それを見て行くのも手だろう。二つしか選択肢がないとは限らないから、ほかにもあるのだとすると、二つに限るとほかをとり落とすことになる。

 参照文献 『正しく考えるために』岩崎武雄 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫