ウイルスへの感染と、経済の V 字回復―経済を回復させるようにするだけでよいのだろうか

 新型コロナウイルスへの感染が落ちつくことを見こして、その先において経済を V 字回復させる。落ちこんだ経済を確かに V 字に回復させるように先を見こす。与党の官房長官はそのことに触れていた。

 V 字に回復するのは、これまでと同じあり方が引きつづくことがもとになっている。そうではなくて、あと戻りができない旋回点が形づくられることもなくはない。認知の枠組みであるパラダイムが変わる。そうなることももしかするとありえないことではない。

 V 字に回復させることは、これまでのあり方を基本として引きつづきとりつづけることと言ってもよい。そこに欠けているのは反省の視点だろう。これまでのあり方を引きつづきとりつづけるのではなくて、それを反省して見直すことがあったらよい。

 二〇世紀の大量生産と大量販売のあり方が改められて、もっと環境に気を配ったあり方がとられれば、環境が守られやすくなる。もはや地球には総量規制がかかっているのだと、学者の松井孝典(たかふみ)氏はいう。有限の資源が破壊や消費されることによって、無駄づかいになっているところがある。

 環境を少しでも守るためには、経済の成長だけをよしとするのではなく、たとえば江戸時代のような循環や定常のあり方がふまえられてもよいものだろう。成長を第一にせず、循環や定常をとるようにすることは、それすなわち停滞であるとは言い切れそうにない。

 明治の時代からつづく富国強兵のあり方では、働くことや軍事を強めることがよしとされる。働くことに重きが置かれすぎて、忙しいことが価値のあることだとされる。これは近代の価値のあり方だ。近代より以前は、近代ほどには忙しさに価値は置かれなかったという。

 古代ギリシアでは近代とは逆に、忙しさは下位の価値とされた。余暇やゆとりがあることが上位の価値をもつ。古代ギリシアには奴隷と自由人とで階層の差つまり不平等があったとされるから、あり方をそのままよしとすることはできないのはあるが。

 働くことは自由にすると言われたのがナチス・ドイツ強制収容所に掲げられた文言だが、じっさいにはそれとは逆になってしまうことがあり、低賃金と長時間と高命令(要求)の労働だととくに人間性を損なうことにつながる。

 経済を V 字に回復させるのも悪いこととは言えないが、それをするよりも前に、これまでのあり方を反省の視点によって抜本的に見直すことが行なわれれば、これまでに抱えていた負の面が色々に見えてくる。その負の面をあらい出すようにして、隠ぺいするのではなくおもてに出して行き、これまでのおかしいところをとり上げて行く。それによって改善を試みる。そうできることは、大きいものから小さいものまで色々とあるのにちがいない。

 参照文献 『日本進化論 二〇二〇年に向けて』出井伸之(いでいのぶゆき) 『近代の思想構造』今村仁司