いまの首相はすばらしいという一面性による見なし方―ほかの色々な面もある

 これまでに経験がないようなウイルスへの感染が社会の中で広がっている。その中で頼りになるのはいまの首相しかいない。首相のたぐいまれなる決断によって危機をうまく乗り切ることができる。そうであるのにちがいない。雑誌ではそうした意見が言われている。

 いまの首相のことをあまりよしとしすぎてしまうと、見かたが一面性によることになってしまう。いまの首相や政権によいところがまるでないとは言えないが、あたかもよいところしかないといった見なし方になると、一面性によるようになってしまう。ほかの面をとり落として、政権にとって都合の悪いところが捨象されることになる。

 政権にとって都合の悪いところをとり落とさないようにして、一面性によるだけにはならないようにして行きたい。一面性によることになると、すばらしいかそれともまるで駄目かといったひどく極端なことになる。一か〇かや白か黒かの二分法におちいりやすい。

 ただただいまの首相や政権はすばらしいとしてしまうと、なぜいまの時点の首相や政権にたいしてだけとりわけそう言えるのかが引っかかってくる。なぜいまの時点の首相や政権がとりわけすばらしいことになるのかである。なぜ、すごくすばらしい首相や政権が、たまたま偶然にいまの時点においている(そう言える)ことになるのだろうか。

 首相や政権はとりかえがきくものなのだから、いまの時点の首相や政権で言えることなのであれば、ほかの首相や政権のときにもあるていどは同じようなことが言えることがいる。そうでないと、とくにいまの首相や政権のことを、普遍化できない特殊な形で特権化してしまいかねない。自由主義による公平さに反することがおきてくる。

 まちがいなく必然として首相がその地位にいるのだとは言い切れそうにない。たまたまさがあることはぬぐい切ることができづらい。偶有性や恣意性がある。ほかの誰でもよかったのが、たまたまその地位につくことになることがある。必ずしももっとも適してはいないが、何らかのかね合いや風のなり行きによってその地位につくことはあるものだろう。

 選挙において、とり上げられるべきすべての重要な争点がもれなくぜんぶとり上げられることはまずないから、色々な漏れやとり落としがある中で選ばれることになる。色々なことにおおいがされていて、すべてが明らかになっていなくて、隠されていることが色々とある中でのものである。かけられているおおいがきちんと十分にとり払われるのであれば、またちがった結果が出るはずだ。現実に出ている結果を否定することになるから、いじの悪い見かたではあるかもしれないが。

 首相や政権はとりかえがきくのは、ある時点ではただただすばらしいだけのものであり、ほかの時点ではただただ駄目なだけのものである、というほどには極端にはなりづらいことをあらわす。そこまで極端にはなりづらいから、とりわけいまの時点の首相や政権についてをやたらにすばらしいものだと見なすのなら、そこには引っかかりがおきてこざるをえない。

 いまの時代には、情報技術が発達しているのがあるから、とくに突出していると言えるほどに大きく抜きん出るような人はあまり出てきづらい。とくに大粒だと言えるような人は出てきづらくて、小粒または並の粒くらいで、ていどのちがいによる。日本はどちらかというと横並びの社会だから、ことわざで言う出るくいは打たれるとなりやすく、そこまで(はっきりと対照となるくらいに)大きい優と劣の差はおきづらいものだろう。

 いまの時点の首相や政権をことさらにすばらしいものだとして一面性によって見なすのであれば、不つり合いになっていることがあるし、ほかの面を色々に見ようと努めることを怠っていることによる見こみがある。いまの時点ではなくて、いつの時点でもというふうに、ほかの時点をくみ入れるようにしたほうがつり合いをとりやすい。

 時々の政治権力者が、完ぺきと言ってよいほどにまったくよいとかまったく悪いことはあまりないし、まったく正直やまったく嘘つきなこともあまりないことだろう。たいていは何らかの悪いところがあるものだし、たいていは(少なからず)国民に嘘をつくものである。

 参照文献 『ポリティカル・サイエンス事始め』伊藤光利編 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 井上達夫法哲学入門』井上達夫